Wunderbarな日々

妻子連れ30代生物系ポスドクのドイツ滞在記です。

卒業

この数か月の間、修士論文を書いて卒業したのが一人、卒業論文(Bachelor thesis)が一人。どちらも6か月ほどのラボ滞在ですが、日本ほどの盛り上がり(歓迎会やら送別会)もなく、にゅるっとラボに来て、さっといなくなる感じでした。時期も特に決まっていなくて、好きな時から始めて6か月ですから、盛り上がりにくい面もあるのかもしれません。

 

・修士論文

修士のほうは僕が面倒を見ていた学生。修論の初稿がまわってきたのは締め切りの月曜日の前の金曜日。これでどうせいっちゅうねん。。。その後の発表も予行演習などはなく、いきなりぶっつけ。まぁ、入学試験とかでは自分の力でどれだけできるかが試されるわけですが、科学はほかの人の力を借りてもいいからどれだけ最高のものができるかが試されるわけでして、、、科学じゃなくてもその姿勢は問題ありですなあ。それでも特に上からプレッシャーをかけないのがヨーロッパ流。事前に来てくれたらいくらでも相談に乗りますが、来ない分にはほったらかしで点数が悪くなるだけという考え方のようです。

修論もディフェンスがあり、口頭発表後、主査と副査が数十分にわたり口頭試問です。一応責任者の一端ですから、見届けるのも責務かなと思ったのですが、オーディエンスは僕一人でした。なんでも修論の審査報告書には質疑応答の記録が必要とのことで、急にペンを渡されて書記をやる羽目に。わぁお。公式文書に自分の手書きの英語が載る日がよもやくるとは。。。ぼーぉっと聞いているわけにもいかなくなり、こちらもそれなりに緊張。

発表自体はわかりやすかったですが、内容が浅い。。。学会発表の質疑応答とは違い、口頭試問ではその分野での一般的な専門知識も問うわけですが、どこからたたいてもすっからかんという感じで響くところがありませんでした。責任者としてはいたたまれない気持ちになりました。親が悪くてごめんなさい、みたいな感じです。口頭試問がひと段落したところで、学生は退室。僕も併せて退室しようとしたら、「君はここにいていいよ。」と、主査と副査の議論に参加。どういうところがダメだったかを十数分にわたって聞かされる羽目になりました。そういう罰ゲームなんですかね、これ。一通りダメ出しが終わった後、いざ点数をつけるときが。100点満点で点数をつけて、それが1-4点のMarkに変換されます。

95点以上が1.0、90-95が1.3、85-90が1.7、80-85が2.0です。出来は良くなかったとはいえ、ハイデルベルク大学はもとから高い点数をつけることが多いので、2.0ぐらいでも十分に低い評価でしょうという判断に至り、主査、副査の二人の平均がそうなるように点数がつけられました。生々しいことにその場で記入と署名です。議論が終わった後、学生を呼び入れて、合格したよおめでとうと伝えます。その後、総評が伝えられます。密室の議論の時よりはもちろん、学生の今後生かせるような形で、丁寧に言葉を選んでいました。これでめでたく、修士の学位を持った学生が新たに一人誕生です。

後日ラボに来て身辺整理。実験ノートを追記して(本当はだめだけど)、データベースにいろいろ実験試料の情報を入力し、データを後から見てもわかるように整理してサーバーに収めます。終わると、消え入るようにサッといなくなり、卒業です。そういや、推薦書を書いたドクターのところは結局通ったのか、通ってないのか・・・?まぁ、あえて聞くほどのこともないか。

 

・卒業論文

卒論のほうの学生は担当じゃないのではたから見てるだけですが、やる気が充満している感じです。区切りがいいところまでということで、理由をつけて滞在期間を少し延長して、計画していた実験を終わらせました。プロジェクトそのものは失敗でしたが、ポジコンもネガコンもちゃんとしていて、「ダメ」と。「ダメ」とはっきりわかって次に進めることは、なかなか難しいことですからね。

こちらは期日を守って事前に卒論のファイルを送ってきて、アドバイスをもらい、印刷したものを締め切り日に提出。その時に意気揚々とラボにやってきたのが印象的で、「このデータの写真が一番お気に入りなんだよ!」とにこやかに卒論を見せてくれました。とても卒論に誇りに思っているようで、それもそれだけの努力をしたからでしょうか。

こうも違うと、嫌が応にも自分の学生と比べちゃいますね。。。学生のもとからの出来が違うのもあるんでしょうが、指導する方もなんとかならんかったかねえと悔やまれます。

 

そうこうしているうちに、新しい学生がやってきて、卒論を(修論かも?)。昔、バイトでラボで働いたことがある子で、評判がすごくよく、すぐに受け入れが決まりました。前述の学生みたいに、誇れる学位論文が書けるといいですね。