Wunderbarな日々

妻子連れ30代生物系ポスドクのドイツ滞在記です。

研究雑話(8)

・面接

ここで研究が続けられるようにと、海外学振と学振PDに申請してました(日本学術振興会 特別研究員)過去記事。8月にまず海外学振の結果が開示されて、面接候補に。3年前に申請した時(面接採用内定後に辞退)よりは書類の出来が良いと思っていたので、正直がっかりした気持ちでしたが、後になってだんだん落とされなくて良かったあとホッとした気持ちになりました。審査員との相性は水物で、この人が落ちるの?みたいなのは結構聞きますからねえ。海外学振の趣旨から考えても、もう海外に行ってしまってる組は審査が厳し目なのかもしれません。まあ、海外にこれから行く人の応援は大事で、そうあるべきだとは思いますが。ということで、プレゼン4分と質疑応答6分のために一時帰国です。他にも予定を足して、4泊6日の日程です。妊婦をあまり長い間一人にしとくわけにはいきません。旅費が心配になるところですが、面接関係の書類を出したら普通に降りました。フンボルト財団からの研究費でまかないました。日本にいた時は、面接だけだと研究遂行上必要とは認められない(かも?)ので自腹切ってましたが、、、セミナーの予定を入れるとか色々細工がなくて楽です。

ボス曰く、模擬面接をちゃんとやっておくようにとのこと。ドイツでは、グラント申請のヒアリングに備えて、PI同士でも結構練習するようです。そうは言っても日本語だしなあとぶつくさ言いながら、ラボ内で英語に翻訳して一回やりました。必要ならほかのPI集めるよとも言われましたが、それは流石に恐れ多い。。。その他、ハイデルベルクにいる生物系研究員の方の前で一回、帰国してからは元ボスのラボで1回と計3回練習やりました。最後の最後までダメ出しが続き、コテンパンでしたが、下を向いている暇もなく、スライドの修正をひたすら黙々とです。データを順に見せて、一歩ずつ話を進めていきたいのですが、4分でそんなことをやってる場合ではないと結局ばっさり。早口で詰め込んでも、広範に渡る審査員に伝わらないので、限られた時間の中で、喋る中身の取捨選択が難しかったですね。時間をとってくださった皆さんには頭が下がる思いです。ドイツで買ったパソコンを持って行ったのですが、日本で充電するアダプターを忘れたので慌てて家電量販店で購入です。。。

スーツに着替えて学振にいざ出陣。僕の前の人も、後の人も海外から来ていて、まあ、みなさんご苦労様な感じです。最後のスライドの途中で時間を知らせるベルが来て、若干時間オーバー。審査員が真剣に聞いてくれていたのでイントロで二言ぐらい増やしたのが原因。。。とほほ。今回は特に英語で質問されることもなく、時間いっぱいというか、多少超えて多くの質問をいただきました。大体は上手く答えたつもりですが、後になって、もっとうまい答えあったなあなんて思い出し反省も少し。。。

その後もいろいろ予定をこなし、日本食材をたっぷり買い込んでドイツに帰りました。色々あって、行きも帰りも関空だったのですが、ちょうど浸水でターミナル1が閉鎖されていた頃で、行きの飛行機が飛ぶと決まったのが出発数日前。帰りの飛行機も次の台風接近で危うく欠航になるところでしたが、出発時間を切り上げて離陸して間一髪難を逃れました。運が悪いというか、良いというか。。。

2週間ぐらいして結果発表。面接採用となりました。良かった良かった。2年間の延命に成功です。

 

・面接2

それから2日後。喜びも束の間のうちに学振PDの方の結果が開示されました。PDの3年間という期間は魅力的で、最大2年間海外で過ごしたあと、日本に帰ってからもポジションが1年間あるというのは良いのですが、給与額自体は低いので海外学振の滑り止めのつもりでした。研究計画も、海外学振と同じような申請書類で出しており、海外で2年ぐらい実験したデータを、日本に帰ってから解析するような感じです。海外学振通ったので、また面接になったら辞退しようかなと思っていたところ、なんとSPDの面接候補に。。。Sが一文字つくと、給与額年額100万円上がって、さらに研究費も最大年額150万円プラスされるので、これは海外学振より条件良いと思いました。各分野で年2人しか選ばれないので、箔もつきます。

しかしながら、面接の予定は12月上旬。第二子に出産予定日から3週間も経ってない。。。流石に妻+子2人を残して行くわけにはいきません。相談の末、せっかくのチャンスだから挑戦してみようということになり、妻のご実家から御両親にその間来ていただくことになりました。有り難い限りです。御両親の分の航空券と宿と送迎用のレンタカーはなんとか手配できました。面接は8分プレゼン、12分質疑ですが、なんだか大騒動になってきました。Neuenheim内のホテルは多くありませんで、

Unser Hotel – Cafe Frisch  は埋まってましたが、

Hotel & Appartements Berger in Heidelberg が取れました。アットホームな感じでよかったそうです。

結果はPDの受け入れ先機関にも通知されて、そこのURA(University Research Administrator)の方から模擬面接はどうですかとのお誘い。大学の運営交付金が削られるようになってから、どの大学も競争的資金の獲得に躍起になっており、申請書類へのアドバイスなどで研究者をサポートするところが増えました。政府関係の研究費は直接経費とはまた別途で、間接経費も支払われ、そのまま大学の予算に組み込まれます。本番前日ならいけますが、それ以外は日程上無理ですと無茶なお願いをしたのですが、快く引き受けてくださって、前日に模擬面接をセットしてくださいました。

個人的にはURAのシステムのイメージがあんまり良くなくって、今まで自分の書類がよくなったという実感がなかったし、結局全国の大学でこれだけの人とお金と時間を使って、みんなで申請書類の見栄えをよくするぐらいだったらその分研究費に回してくれよと思ってました。中学受験の時の塾の講師がよく漏らしてたのですが、「昔は塾がなくって、頭が賢いやつはちょこっと勉強したら難関校に入ってた。今は親がみんな塾に入れるから、頭が賢いやつも塾に来ないと難関校に合格できないようになってしまった」と。塾が普及して競争がある程度のところまで行き着くと、結局は頭が賢いやつが難関校に行くという結果は変わらないし、所詮は入試対策だから別に日本の人材が昔より開発されたというわけでもないです。そういう意味では塾はあってもなくても良いのですが、競争のために保護者が資金を投入して、塾産業を潤してるわけです。コンサルティング業界や、ファンドマネジャー業界も似たようなものですかね。社会全体で見ると、価値を出すというより、過当競争のためのコストという風に感じています。まあ、僕も塾でバイトしてたクチですから偉そうなこと言える立場ではありませんが。。。

話が逸れました。模擬面接の日程も決まって、さあフライトのチケットをと思ったのですが、僕の分の航空券が高すぎて買えません。。。前回の出張費が立替払いでまだ戻ってない上に、1泊4日の予定ですぐに帰ってくるとなると格安運賃が設定されていなくて、エコノミーでも軽く2000ユーロを超えます。これでは家計が綱渡りの危機。出産費用やら、助産師さんの費用もどうなるかわからんのに。。。

 何とかなりませんかねえと、秘書さんに泣きつくと、旅行代理店から注文したらいいんじゃない?とのこと。その手があるならもっと早く教えてほしかった…

 Reisebüro Reeg GmbHというところとハイデルベルク大学は提携しているらしく、メールで何回かやり取りして航空券を発注。請求書が直に大学に行くので僕が立て替えなくても良いようです。もちろん手数料は取られますが、その分の明細は見てないので果たしていくらだったやら。。。結構優秀なスタッフで、すぐさま、もっと安価なほかの旅程候補(エールフランスの乗継便)を挙げてくれましたが、面接前で焦りたくないので、今回は高いけどリスクの少ない直行便でお願いしますと指示しました。同じ便でも、Lufthansaとして取るよりも、ANAとして取った方が安上がりだったようで、それも自発的に見つけて変更してくださいました。これからの出張は全部ここでお願いしよう。。。しかし、ここLufthansaの代理店なんだけどよかったのかな。。。

https://www.uni-heidelberg.de/md/zuv/personal/formulare/reiseburo_reeg.pdf

 

再び、話が逸れました。模擬面接会場に行くと、なんと関連分野から教授が2人が模擬審査員として登場!ひぇ~。まさか教授が二人お出ましになるとは。。。前回海外学振で通ったプレゼンをベースに、8分に膨らませましたが、その後1時間以上にわたって厳しい質問と指摘の前に見事に討ち死に。。。もっと広く、もっと深く自分の研究について考えさせられる良い機会となりました。本当は修正して、資料を印刷させてもらって東京に向かいたかったですが、少ない時間で対応できそうもなく断念。時差ぼけの頭を休養しながら東京に向かい、あきらめて本番当日の早朝に起きて修正することに。

 翌早朝。一晩寝るといろいろ整理されるようで、模擬面接で言われたことがだいぶ消化されて、すらすらとスライド修正が完了。これは確かに前のバージョンより良くなってると、自分でもうなずける感じに。URAが役に立ったなあと思いなおしました。スライド資料15部をカラー印刷しないといけないので、コンビニでも行こうかと思っていたのですが、さすが東京。キンコーズという印刷屋さんが都内あちこちに店舗を持っていました。1部ごとにまとめて印刷する設定を忘れて、店舗先で製本する羽目になりましたが、それでも1時間もしないうちに印刷を終えることができました。印刷代もちゃんと経費で落ちました。スーツに着替えて準備万端(?)でもう一度学振に出陣。

コピー・プリント・ポスター・名刺・製本 - オンデマンド印刷のキンコーズ・ジャパン

学振に入ると、SPDの審査を各分野で同時にやっていて、ほかの分野でも海外からこのために駆け付けた人がいて、スーツケース引っ張ってました。ご苦労様です。面接会場に入ると、海外学振の時と同じ面々がずらり…。審査員同じだったか。模擬面接が生きて、そこまで緊張することもなく、和やかな雰囲気で面接は終了。審査員方も研究内容を理解しようと努めてくださってる感じで、質問だけでなく、ためになるアドバイスもいくつかいただきました。もっとあらを探そう的な感じになるかと思っていたので、少々意外。こちらからとしても言いたいことは伝わったと実感できたので、悔いはありません。まあ、もうちょっと早くから準備してたらドタバタしなくて済んだのはその通りですが、、、

とんぼ返りでドイツへ帰国。子供たちも元気で特に何もなくよかったよかった。学振のサイトには、結果は1月上旬までに発表と書いてありますが、例年はその前にクリスマス後に結果発表なので、年末は毎朝ドキドキしながら起きてメールチェック。しかし、一向に結果が発表される気配はありません。こうなったら頼りになるのは2ch(現5ch)で、VPNを介して学振総合スレをのぞいてみます(現在GDPR法規制によりドイツからは直接アクセス禁止)。学振の予算が削られたから、振り分け方に困ってるんじゃないのとか、電話してみたら来年上旬になるって担当者が言ってたとか、いろいろあってふむふむ。気休めですが。結局年が明けてからの1月4日に「学振作業中」にステータスが変わり、10日になってやっと結果が出ました。なんだかんだ言いながら、この間落ち着かなかったので、まだまだ若いというか、なんというか。。。結果が出た次の日からぐっすり眠れるようになりました。

結果は残念ながらSPD不採用。。。悔いの残る面接ではなかったので、仕方がないなという感じでした。とんぼ返りしたり、妻のご両親を呼び寄せたりと、そういう意味では手間が水泡に帰した感じですが、全くの泡というわけでもなかったようで。研究面では模擬審査員や審査員の方に研究を知ってもらうことができましたし、準備や面接を通じて研究計画が一段と深くなり、やることがよりはっきりしました。妻のご両親も、長男のドイツでの幼稚園姿や、生まれたばかりの幼子を見ることができて、さらにドイツのクリスマスマーケットも楽しんだようで、良い思い出になったのではないでしょうか。

PDをとるか、海外学振をとるかは判断が難しいところでしたが、現ボスともいろいろ相談して、フンボルト後は通常のポスドクとしてしばらく雇ってもらって、その後、海外学振に切り替えるということで、あと3年間はハイデルベルクで研究できるようになりました。PDは辞退することになるので、受け入れ先の先生方や事務の方には申し訳ないことをしたなと感じていますが(あれこれ巻き込んだ挙句に、びた一文落ちてこない)、将来の研究成果を楽しみにしていただけたらなと思います。

雇用問題はひと段落したし、出産もひと段落したし、あとはまじめに研究するだけです。SPDを落とした審査員にぎゃふんと言わせなくては。