Wunderbarな日々

妻子連れ30代生物系ポスドクのドイツ滞在記です。

ポツダムの小学校とS先生(1)

近所の地元の小学校に子供が転校した。

ベルリンとBrandenburg州はドイツの他の州と違って小学校(Grundschule)が6年生まである。入学した小学校では各学年3クラスずつで、一クラス30人足らず。誰か著名人の名前を冠した学校はドイツでは珍しくないが、ドイツ共産主義作家というのはなかなか珍しいのではなかろうか。自伝的小説が有名で、児童向け作品には日本語訳もあるようだ。

・Lesenacht

5月に小2の途中から転入して、いきなり学校に泊まり込むLesenachtというイベントの案内がされる。なんでも好きな本を持ち込んで、学校で寝袋敷いて一泊するらしい。そりゃまあ本読むのはいいけれども、まだ小2だぞ。。。しかも転校したばっかりでまだ友達がいない。実質親元を離れて初めての「外泊」になるというのもあって、ちょっと不安になる。日本語補習校のママ友たちに聞いても、ほとんど経験がないという。別に作家の名前にちなんだ学校だからというわけでもなく、なんなら同学年の他のクラスはやってないらしく、クラス担任のS先生の采配らしい。一人でもやっちゃうそのバイタリティーには本当に敬服。それに比べると、日本の小学校の先生はだいぶお疲れなような気がする。

さて、寝袋なんて持ってなかったので、慌てて教授から借りて、本も別に日本語でもなんでもいいから、とりあえずすぐには読み終わらない本という注文がついていて、日本語のと、ドイツ語のも一冊買って持って行かせた。まあ、読書がどうのというよりは、外泊するということが重要だったらしい。

当日は16時半に校庭に集合して準備を始め、親も交えた持ち寄りBBQパーティを開催。急にコロナにかかっちゃって参加できなくなった親子も途中で来てたような気がするが、、、まあ誰も気にしないならそれはそれでよし。19時半から子供たちは教室に戻って、親は二人ぐらいを残して解散。翌日朝8時に迎えに来るというスケジュールらしい。転校して早々で他の親御さんと顔を突き合わせる機会があったのは確かによかった。ドイツ語はそんなにしゃべれないけれども、S先生とも他の親とも一言、二言言葉を交わすことはできた。本当はもっと積極的に混じれればよかったんだが、、、下の子をだしにして子守にだいぶ時間を割いてしまった。何しゃべれいいのかわからんし。。。S先生はいつもタンクトップの体育の先生で、なかなかキャラが濃いけれども、しかしクラスは本当によくまとまっているのよと、複数の親御さんがそんなことを口にしていた。

夜の教室の様子はアテンドしていただいた親御さんからグループチャットで写真が届き、とりあえず子供の生存は確認。S先生が何冊か本を朗読してくれたらしい。翌朝迎えに行くと、子供は神妙な面持ち。まだ何が起きたか消化しきれてない様子。一皮むけたのかどうかは微妙なところだけど、楽しいかどうかも微妙なところという感じかなあ。まあ、何はともあれ無事家に戻ってこれて一安心。

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・Klassenfahrt

ほっと一息する暇もなく、今度は6月下旬に、なんとクラスで4泊5日の泊まり込み旅行でKiez Prebelowという、車で一時間半ぐらい離れたところに行ってくるらしい。そりゃ子供の表情も曇るわけだ。1泊でも不安だったろうに4泊だなんて。。。これもどうやらうちのクラスだけらしい。かわいい子にはなんとやらはS先生の指導方針に違いない。日本の自分の母校では小学校5年生でやっと泊まり込みの旅行に行った気がするんだけどなあ。

学校を出発する日は、親もバスを見送りに校庭へ集合。楽しみにしてるというよりは、さすがに不安な子供が多く、どうやらうちの子供だけじゃなかったらしい。これも旅行に帯同した親御さんからSNSに逐一写真やら動画が送られてくるけど、なんかうちの子顔がずっと引きずってるし。無事に帰ってくるかどうかを心配するレベル。ちゃんと食べてるんだろうか。。。

行った先は学校用のそうした活動向けの宿泊施設の様で、体育館でなんかやったり、みんなでご飯食べたり、湖に入ったり、砂浜で遊んだり、工作したり、宝探ししたり、夜中にコウモリを探しに行ったり、ダンスしたりと、随分盛沢山ではあるのだが、7歳のうちの子にはまだちと早かったような気もする。転校してからのまだ二か月も経ってないのだが、大人の階段を二段ぐらい引きずって上らされた。残された家族の方も、長男だけがいないという不思議なシチュエーションに、少しさびしさを覚える感じであった。将来子供が一人暮らしを始めるときはこんな気持ちがするのだろうか?

 

・ドイツ語の勉強

旅行が終わった6月末は学校の教室で二者面談。30分枠だったけど、S先生しゃべりっぱなし。こちらのドイツ語の理解度はあいにく6-7割ぐらいか。。。疲れた。S先生が教職をとったころはまだ東ドイツの時代で、あの時代に習ったことは何もかも変わってしわったわ、みたいなことを遠い目をしながら言っていた気がする。激動の時代を生きてきたのねー。

子どもの目下の課題はディクテーション(Diktat)だそうで、聞くとか以前の話で、板書も筆記体で読めないし、小テストも筆記体で書けないらしい。まあ筆記体を小学校で習ってた頃は日本にいたので仕方がないし、そもそもアルファベットの書き方もHeidelbergとPotsdamで微妙に違うらしく、連絡帳(Hausaufgabenheft)に宿題を書けと言われても、そもそも読めないことも何回かあった。どうすればいいですかと聞くと、そういう専門のところに行けばいいのよと予想外の返答。紹介されたのがDuden Instituteというところで、一回話を聞きに行くことに。Dudenはドイツ語の広辞苑のような標準の辞書のことらしい。

Standorte > Standorte | Duden Institute

実際にアポイントメントをとって行って話を聞いていると、そういうお子さんは珍しくなく、ここでゆっくりドイツ語について学んでいくということだが、Webサイトとかを見る限りはどちらかというとディスレクシアなどの治療をしていくところらしい。いや別に日本語は読めてるし、そういうのじゃないんだけれども。。。週1回45分で、月謝は270EUR。集中コースは一日3回×月-金で週890EUR。医者の診断書があれば全部無料にはなるんだけど、診断もそのあとの申請も人手足りてなくて、無料の申請するのに一年ぐらいかかるから、とりあえず始めてみたら?ということだった。

うーんしかし、そこまでせんでも何とかなるだろうと腹をくくり、夏休みは筆記体特訓。ドイツ語のテレビでも見せて何とかなるかなあ。

 

ってか子供用の万年筆(Füller / Füllfederhalter)また買わなきゃ。。。

ドイツでは小2から万年筆使用が始まり、子供も調子乗ってなんでも万年筆で書くので、日本語の補習校の先生によく怒られた。消せないかと思いきや、この謎のインク消し(Tintenlöscher)というので一応消せるらしい。あら不思議(化学反応らしい)。

最初は貴重なもんかなとおもって、Pelikanでちゃんとした子供用万年筆(Griffix)を買ってみた。子供用にちゃんとできてて、壊れにくくはなっているが、すぐに失くされる。。。

こんなもんしょっちゅう買うわけにもいかないということで、近所の格安スーパーで売っていた、Schneider社製に格下げ。書き味が違うんだよなとか、ぶつくさ言っていた気もするが無視。そのうち慣れたらしい。

 

Potsdam近郊のおすすめスポット

堅い話はやめて、ポツダム・近郊で楽しかったところ。

 

・Volkspark Potsdam

ポツダム随一の広さを誇る公園。RitterfestやUmweltfestなどの各イベントも行われる。イベントがなくてもトランポリンやらボルダリングが遊べるところがたくさんあり、スケボーやらサッカーする場所にも事欠かない。水遊びもできる。隣に生存圏館という施設( Biosphäre Potsdam - Viel mehr als Du denkst!  )があり巨大な温室になっているので、雨の日も遊べる。ハキリアリの展示はなかなかお見事。

 

・サンスーシ公園

Park Sanssouci - Gartenkunst auf höchstem Niveau | SPSG

サンスーシ宮殿一帯の公園。とにかくでかい。300ヘクタールあるので、東京ドーム60個分。代々木公園の6倍、万博公園よりもまた大きいらしい。入場無料なので、観光客のみならず、近所の人もよく散歩している。っていうか、この公園のせいでバスは遠回りさせられるは、人間が住む場所が狭くなるわ。。。

園内で見かけた木。呼吸根が隆起しているからラクウショウ(学名: Taxodium distichum)かなあ?夜の散歩は要注意。街灯がないのでマジで迷いそうになる。

 

・ポツダム大学の植物園

Botanischer Garten der Universität Potsdam - Universität Potsdam

ポツダム大学が運営しているサンスーシ公園近くの植物園。温室内は所せましといろんな植物が敷き詰められているが、友人に言わすと植物の元気がいいらしい。

セレニケレウス「Selenicereus grandiflorus(大輪柱)」が咲く初夏には、カクテルなどがふるまわれるイベントが開かれる。別名 queen of the nightで一年で一晩しか開花しないらしい。といっても、一つの株に花は複数ついて、園内には複数株があるので、その日しか楽しめないわけではないんだけれども。2022年のイベントは6月17日だったか、2024年の開花はいつになるのか?

 

 

・Barfußpark

Der Barfußpark Beelitz-Heilstätten – Kurzurlaub für Körper und Seele

直訳だと裸足ランドといったところか?その名の通り、入り口で靴を脱ぎ、裸足で遊ぶかなり広いテーマパーク。ガラスの上を歩いたり、泥の中に足を突っ込んだりとなかなか楽しい。日本でやったら受けそうだけどなあ。。。


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・Tag der offenen Tür im Polizeipräsidium

Tag der offenen Tür im Polizeipräsidium | Termine | Polizei Brandenburg

警察のオープンキャンパス的なイベント。ブランデンブルク州内で持ち回りでやっているようで、たまたま2022年はポツダムが担当だった。州内の警察署が代表を送りあって楽しくワイワイするイベントで、ヘリが来たり、水上警察の船も展示されたりとなかなか大がかり。


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昔の警察のグッズとかも売っていて、記念にPolizeiと書かれた野球帽を購入。夏に出かけるのに被っていたところ、途中で突然電車から降りたカップルがやってきて、男の方に警察手帳を見せられ、職務質問を受ける羽目になった。子どもじゃないんだからと、警察官じゃないのに警察の帽子をつけるのはけしからんと、こぴっどく怒られた。皆さん気を付けましょう。被っちゃいけないものを売るなっつーの。。。

イベント内では泥棒がどうやって家宅侵入するかについての展示もあり、ドイツでよくあるタイプの窓は、上側を半開きにして換気するのだけれども、紐とラップかトイレットペーパーの芯があると、隙間から簡単に外から開けられるから気を付けようねー、というのを実演しながら教えてくれた。


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その数日後、見事に自宅のオートロックに締め出されてしまう事案が発生。運が悪いことにちょうど大家さんや管理人が旅行中で開けてくれる人がいない。。。メールしたら、外から窓開けられないの?と言われ、そういやそんなことを警察のイベントで聞いたなあと思いだした。ちょうど窓を半開きにして換気していたので、紐とラップの芯を用意し、怪しまれないように白昼堂々と習ったこじ開け方を実践し、見事に窓を外から開けることに成功した。いやー、あせったあせった。

 

・Zitadelle Spandau

シュパンダオ要塞

https://www.zitadelle-berlin.de/

東ドイツに来てみると、あまり古い建物がないことに驚かされる。Heidelbergとか、その近くのWeinheimとかで見られたような木組の家もなければ、古城もなく、立派な宮殿はもちろんあるんだけれども、あまり通りを歩いていて建物が楽しい感じではない。

その中で比較的に城っぽく雰囲気を出しているのがベルリンの端っこのシュパンダウ要塞である。ロゴにもなっている変な形をした要塞で、1200年頃に建てられ、ベルリンで最も古い建物の一つらしい。橋で堀を渡って入場する感じがワクワクさせる。

イースターの頃は大規模な中世騎士祭り(Oster-Ritterfest auf der Zitadelle Spandau)が行われて賑やか。馬に乗った騎士のショーの他、人力メリーゴーランドなどの乗り物も目白押しで、レンガ造りの要塞の中というのもいい雰囲気を醸し出している。Heidelbergの頃はあっちこっちでやってたから大して珍しくもなかったんだけど、どうやらPotsdam周辺ではめったにないものらしい。

2022年はコロナ明けで、クリスマスマーケットが要塞内で行われ、プラスチックのスケートリンク(エコアイスリンク!)なんかも登場して、いい雰囲気だったが、一年限りのよう。2023年以降は通常通り要塞の外のSpandau市街で行われた。

 

・Ketziner Fischerfest

Havel川沿いにドライブしていたある日のこと、Ketzinという小さな町で、Ketziner Fischerfestという祭りを発見し立ち寄ってみました。祭り自体は大変盛り上がっていて、河川敷に小さな移動遊園地もできていたのだが、びっくりしたのがこの渡し船。なんとロープウェイみたく引っ張られて動いている!訪れたのが2022年の夏で、その冬には動力部が老朽化のため故障。その後電動化され、2023年の春に復旧。まあ、20km分ぐらいの迂回で、5ユーロ払ってまで船待ってわたるのかと言われると微妙なところだけど、ある意味シンボル的な意味で、何とか直して使おうというその心意気は素晴らしい。祭りの日は無料で、みんな対岸に行ったり来たりしていた。 

Havelfähre "Charlotte" - Kultur- und Tourismuszentrum

de.m.wikipedia.org

同様の渡し舟はCaputhでも見られるので、珍しい乗り物が好きな人はお見逃しなく。

https://www.faehre-caputh.de/

 

Havel川を渡るのは確かにちょっと厄介。ポツダム大学のGolmキャンパスとWerder(Havel)は目と鼻の先だが、線路はつながっているものの直通電車は走っておらず、一度Potsdam市街にもどってからHavel方面に乗換になる。Werder駅近くの線路の橋は電車と歩道と自転車道しかなく車が渡れないため、南のGeltow方面へ迂回する必要があり、バスの631番もそのルート。

なお、自転車だとGoogle mapが気まぐれで、Restaurant Zur Anglerklause付近からフェリーに乗れと指示されるが、桟橋はあるものの船は出ていない。。。ハズ。これで痛い目にあった。

ポツダム(1)

2年4か月ぶりのブログ更新です。

 

とある会合で、「ブログやっていますよねえ?」と同業者に言われ、はぐらかすのもためらわれるほどの確信的な目つきだったので、素直に「よくご存じで」と白状。まさかハイデルベルクともドイツとも関係ない人に読まれてるとは思わなかった。。。

「もうブログ辞めちゃうんですか?」
「いや、人様に迷惑が掛かるといけないので、最近は書けないことが多くて、、、」と言うと、「研究の話じゃなくても、書ける範囲でいいじゃないですか。」と励まされ、それもそうだなと、もうすこしだけ更新することにしました。翻訳AIが発達した今は何語で書いても地雷を踏みかねないけど、まあ何かの役に立つことがあることを願って、もう少しお付き合いください。読者コメントはやはり励みになります。

 

・Potsdamへ引っ越し

縁あって、ポツダムで職を得たので、日本からポツダムへ引っ越し。首都・ベルリンは東京23区的のような都市州だが、それをぐるりと囲んでいるのがBrandenburg州で、その州都がPotsdam市である。Berlin中心部まで電車で30分ぐらいの距離で、東京ー横浜ぐらいの感覚。ポツダム宣言は、市内のツェツィーリエンホーフ宮殿(Schloss Cecilienhof)で行われたポツダム会談に由来している。

ドイツに再びやってきた2022年3月頃は第何波だかわからないけど、ヨーロッパではCOVID-19のオミクロン株が流行のピークを迎えていて、2月24日はロシアによるウクライナ侵攻が始まり、まあ控えめに言っても最悪のタイミングといってよかった気がする。実際、スーパーにいつも売られている小麦粉はないわ、油はないわで(高級品はまだあった)、早く戦争が終わればいいなと淡い期待がまだあったころだった。

パンデミックでいつまた国境が閉められるかわからなかったので、念のため就労ビザを在日ドイツ大使館で取得していたが、結局6か月分(家族は3か月分)しか降りなかったしし、手間が増えただけだった。まあ、備えあれば患いなしではあったが。

フライトもロシア上空が急に飛行自粛になったため、いろいろ二転三転し、最終的に飛行ルートと時間が確定したのは出発の五日前だった。NH1901として羽田からウィーンにテクニカルランディングし、降りることなく二時間半後にNH1903としてフランクフルトへ飛び、そこから乗り換えてLH190でベルリンまでという行程で、ドアtoドアだと30時間ぐらいはかかった気がする。ウィーンまで来たんだからフランクフルトまで行けそうな気がしたが。。。まあ無事飛べただけありがたい。

賃貸アパートは残念ながら事前には見つからず、とりあえずプライベートのゲストハウスを二部屋借りて入居。到着した日の夜に、管理人が町で一番だよというEICHE PIZZERIAからデリバリーでピザを頼んでみるも、味はいまいちで。。。あとで町にはピザ屋が一軒しかないことがわかり、そりゃ確かに町一番だろうよ。ただ名誉のために言っておくと、あとからできる息子の友人によれば、この店のPizza Dönerecci という、伊土折衷メニューがうまいらしく、いつも食べてるそうなので、マルゲリータとか頼んだ私たちが良くなかったのかもしれない。それも食べてみたけどそんなにうまくはなかったけどなあ、、、味覚はやはり人それぞれなのか。

 

・諸手続き

諸手続きはWelcome Centreの手厚いサポートで概ね滞りなくできた。ベルリンの空港からポツダムまでのタクシーも手配してもらったり、市役所や外国人局もWelcome Centre専用の予約枠があるらしく随分スムーズだった。ポツダム市の市役所は当時はオンライン予約必須で、今でも予約推奨なのだが、予約が空く朝8時はアクセス集中で、すぐにいっぱいになり、自力じゃとても引っ越し二週間以内に届け出られるような状況ではなかった。今では予約がなくても窓口に行けば、待つには待つがその日のうちには何とかやってくれるらしい。ということで、ポツダムへの引っ越しが決まったら、まずは市役所の予約を取りましょう。

Terminverwaltung Bürgerservicecenter

住民登録が済まないと、小学校へ入学できなくて、ようやく住民登録が済んだら、今度は校長先生が体調不良で休みで、そのあとはイースター休暇で、入学のお話は4月末にしましょうとのことに。あまりやる気はないようだ。日本だと金曜に届けたら、次の月曜には小学校は入れたけどなあ。。。Welcome Centreには幼稚園の手配から、小学校入学のサポートまでとどこまでも面倒を見てもらい、さらには随所・随時にドイツ語-英語の通訳(学生のバイト)まで派遣してくれる徹底ぶり。大変助かりました。あんたたちドイツ語解ってんじゃん!と突っ込まれたけど、これも念には念を入れよということで。

息子は既にHeidelbergで小学校に通っていたが、Brandenburg州ではSchuleingangsuntersuchungなる入学診断的なものが必要で、病院ではなく保健所(?)のような健康省が担当らしい。場所も変わればルールも変わるようで。一応入学後でいいよとは言ってもらったが、予約をとってそそくさと出かけてすませた。

Öffentlicher Gesundheitsdienst | Landeshauptstadt Potsdam

他にも小学校の放課後に子供を預かってくれる場所がHortと呼ばれていて名前が異なったり(HeidelbergではSchulkindbetreuungと呼ばれていた)、そもそもそんな施設が学校近くで二つもあって、好きな方を選んでと言われたりと(でも同級生はほとんどが片方のHortに行っていて、実際は選択の余地はなかった)、同じドイツの中でもいろいろ勝手が違った。

 

・Brandenburg州は金がないらしい
Heidelberg時代はなんだかんだでほぼ無料だった小学校の教科書・教材代がPotsdamでは一人当たり15ユーロしかサポートされず、学校側も「教科書以外は必須ではないけど、あったほうが。。。」と強制しない立場らしい。いやいや、ないと勉強困るでしょうに。結局教材だけで100ユーロ分ぐらい購入した。他にも学校全体で顕微鏡が2台しかないとか、タブレット端末がクラスで1台しかないとか、どうやら州の予算があまり潤沢ではないらしい。

Liste der deutschen Bundesländer nach Bruttoinlandsprodukt – Wikipedia で見てみると、Bruttoinlandsprodukt (BIP)というのが州ごとのGDPだと思うのだが、一人当たりだとHeidelbergがあるBaden-Württembergが54339EUR(5位)のに対して、Brandenburgは37814EUR(13位)とその7割にしか過ぎない。

[2] Bruttoinlandsprodukt, Bruttowertschöpfung | Statistikportal.de

また、2017年とちょっと古い統計の地図を見てみると一目瞭然で、東ドイツではベルリンだけ頑張っているが、周囲の州は軒並み低く、東西統一30年経っても依然として格差は解消されていない。

Radom1967, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons

日本語補習校の図書室では「がんばれ、ブランデンブルク州!」という本も置いてあり、なかなか面白かった(リンクはアフィリエイトです)。ほかにも、同僚にはブランデンブルク州の哀愁をうたった曲を紹介してもらった。700万回も再生されており、もはやネタになっている。

www.youtube.com

歌詞はこちらから。なかなかひどい。

Rainald Grebe & Die Kapelle der Versöhnung – Brandenburg Lyrics | Genius Lyrics

 

研究員の給与自体は全国でようやく統一され、東も西もない。東西格差はドイツ国内でも課題になってはいるのだが、根が深い分、対処が難しい。教育現場に差が出ると格差が固定化されない。実際問題、学生たちは良い職を求めて西へ南へ移動することになる。通訳で来てくれた学生も教育課程だそうだが、地元での教員は待遇が悪く、できれば違う職に就きたいと言っていた。

とはいえ、Potsdamはそんなブランデンブルク州の中でも州都であり、そこまではさびれてないのだが、、、。

引っ越し(2)

ああ、11月も更新が落ちてしまいました。。。なんなんでしょうねえ。日本にいるとやることが次から次へとわいてきます。

 

・次の店子(Nachmieter)を探す。

契約上3か月前の通知。ただ、急に帰国が決まったので、通知した時点ですでに3か月を切っていました。ラボの人に聞くと、大家さん側は、通知から3か月分の家賃を請求する権利があるらしく、前の店子からとっておいて、次の借りる人からもとるなど二重獲りが結構ざらにあるらしい。次の店子がすんなり決まれば、その分は取られないので、私たちも頑張って探すのを手伝います。日本だと、借りてる人が次の人探すなんてほとんどありませんが、そういう事情もあるようです。私たちにとっては、引き取ってもらえる家具などがあると、処分する手間が省けますし、大家さんにとっても、不動産屋に頼むと手数料が取られますから、直接見つけられると、その分節約できます。

ImmobilenScout 24などの大手賃貸サイトにも、Nachmieter探しの物件を見かけます。どうしたらいいかなどのチップスがまとめてあったりもします。

Erfolgreiche Nachmietersuche

とはいえ、こっちもいろいろ忙しく、見ず知らずの人とドイツ語でやりとりするほどの自信もないので、そこまではしませんでした。身近なところで、大学や、日本人、中国人の掲示板・グループチャットなどには情報を載せました。Neuenheimというところは高級住宅地で、以前なら空きが出たらすぐに埋まったものですが、コロナの影響もあるのか、なかなかそうとはいきません。私たちの広告伝いだったり、大家さんの紹介だったりで、問い合わせはぽつぽつとあり、内覧も何回かしたのですが、最後まで決まることはありませんでした。内覧のたびにそれなりに片付けないといけないので、妻はだいぶぶつぶつ言ってましたが。。。

 

・部屋の引き渡し

結構もめるところのようです。

問題となったのは木製・無垢のフローリングで、ところどころはがれてくるところがありました。大家さんには知らせていたのですが、水分が足りてないから、渡した液体せっけんでよく水拭きするようにとの指示でした。指示に従ってやってると、どんどん余計にはがれてくるようになり、、、

 

ドイツには家主協会(VermieterVerein)と、借主協会(Mieterbund)があり、双方が自分たちに都合の良いような賃貸契約書のテンプレートを出しています。間に不動産屋が介在している場合は、そこと交渉すれば良いのですが、うちの場合は、いろいろ特殊事情で、適当にそこらへんから拾ってきたような賃貸契約書だったので、あんまりこれをベースに解決する感じではありませんでした。どっちもたいして条文読んでないし。。ドイツに来て間もなかったころはそのあたりの事情もよくわからず、適当にサインしていたのが実情です。だって物件見つからなかったし。。。

Mieterverein Heidelberg e.V.: Home

ドイツ人でもそのあたりはもめやすいようで、ハイデルベルクにもテナント協会があり、年会費64ユーロを払っておくと、そのあたりいろいろ相談に乗ってくれるそうです。

Mieterverein Heidelberg e.V.: Auf einen Blick

大家さんとしては、どっか損害賠償保険に入ってないのかということでしたが、あいにく公的保険に変更したときに、やめてしまって、特に探して加入はしなかったのでありませんでした。どこか契約しておけばよかったかもしれません。言われたとおりにメンテナンスしてたから、こっちの責任じゃないだろというのがこちらの言い分。いろいろあって話し合いということになり、家賃二か月分の敷金(Kaution)から適当な金額を決めて引いて、それで解決ということになりました。日本と違って、敷金は原則全額返ってくるそうですが、まあ、あれにつけてこれにつけていろいろ取られるようです。まあ、本当に全面フローリング張替えとかなったら、敷金じゃ足りないので、敷金内に収まってよかったかもしれません。

取られたお金で本当に修理するかどうかなんて誰にも分らないですが、大家さんが特にあくどいという感じでもなく、次の借主が見つからなかったので、請求する権利があった家賃も請求されず、結局とんとんという感じでしょうか。ドイツでは次の人に貸す前にクリーニングを入れないことが多いので、大家さんから「ここキレイにして」みたいな要求がすごいとうわさを聞き、妻がせっせかと、水垢がなくなるまであちこちをピカピカにしていたのですが、敷金が一部取れて満足したのか、特にみられることもなく、何も言われなくて済みました。「そんなんだったらここまできれいにしなくてもよかったじゃん!」と妻はキレてましたが。。。壁も最後はもう一家塗って返すみたいなことも多いそうですが、そのあたりも免除ということになりました。

教訓としては、借りるときは床にも気を付けろというところでしょうか。薄い無垢材は問題が起きやすいので避けたいところです。損害賠償保険は入っておいてもよかったかもしれませんが、賃貸は対象外のところも多いです。 Privat-Haftpflichtversicherung に補償範囲が含まれているかは要確認です。Mieterbundに入っておいてもよかったかもしれませんが、結局年会費に見合うだけのものがあったかどうかは何とも言い難いところです。間に管理会社が入っていれば、そのあたりはもめずに済むのでしょうが、まだまだドイツでは大家さんが直接貸しているところが多くて、選り好みできるほどの選択肢があるかどうか。

 

・帰国

昼の便を予約しました。NH204 13:30- FRA-HNDです。全日空のこの便だけは、コロナ禍のなかも毎日飛ばしてくれていて、ありがたいです。当日の朝に少し時間があったので、最終日の朝まで家に宿泊して、当日の朝に最後の処分物を片付けられました。帰国準備はカーシェアリングのStadtmobilにずいぶん助けられました。

荷物全部片づけて、最後はホテルに泊まってという人が多いようです。本当は最後は旅行して帰るのがよかったんですが。まあ、なじみの家でいろいろとお世話になった方とお話ししたり、子供が遊んだりできたのは良かったです。

このころは、ドイツで一日400人が、日本で一日1000人ぐらいぐの新規感染者出ていました。当時のルールでは、出国前72時間以内のPCR検査が必要ということだったので、それにあわせてDarmstadtの検査センターを予約しました。空港にも検査センターがあるのですが、一人300ユーロ近くとっていて、高すぎ。。。今は唾液でもOKになったのですが、当時は鼻咽頭ぬぐい液というかなりドイツでも珍しい検査方法しかなく、その方法でも証明書を出してくれるところはなかなか近くでは見つかりませんでした。

結局インドじゃこの検査方法ができるところがなくて、大使館がそのための施設を用意する羽目になったそうですが、何のためのルールなんだか。そして、日本入国後の検査も全部唾液でしたし、帰国者に鼻咽頭ぬぐい液を指定してたのは単なる嫌がらせだったんでしょうか。。。

日本人専用のPCR検査受け付け窓口開設(インド、日本) | ビジネス短信 - ジェトロ

フランクフルト空港まではタクシー。貸し切りにしかできないので高価ですが、荷物が多い家族持ちの私たちにはちょうどでした。

Zuverlässiger Flughafentransfer nach Frankfurt - TLS

入国後は流れに沿って歩いていくだけですが、最初に検体を提出して、いろいろ手続きをして、PCR検査の結果が出るまで4-5時間ぐらいは羽田空港に滞在しました。QRコードでスキャンすりゃいいだけなのに、QRコードの印刷された紙が持っているかどうかを2回ぐらいチェックするためだけの人が配置されていて、日本に帰ってきたなと実感しました。「頑張っているのは認めるが、効率が悪い!」

このころは3泊4日の指定宿泊施設での隔離。家族別々になることも覚悟してましたが、狭くてもよいなら一部屋に入れるとのことで、別々にならずに済みました。案内されたのはこの開業前のホテルで、設備も新しく、Wi-Fiも完備でありがたいことに至れりつくせりでした。バスタブから出てくるお湯も温泉らしく、肌がすべすべになったと喜んでいました。どの宿泊施設になるかは勝手に決められるわけですが、家族持ちに対しては多少考慮してくださったのかもしれません。子連れで、さらに飛行機に乗せられて遠いホテルに飛ばされたみたいなのはあまり聞きません。

天然温泉|【公式サイト】住友不動産ヴィラフォンテーヌ|羽田空港国際線ターミナル直結 / ホテルヴィラフォンテーヌグランド

ご飯もコンビニ弁当ということではなく、結構豪華な松花堂弁当でした。最初は喜んで食べていたのですが、味が濃い。。。後になると食も進まず、持ってきたフリーズドライのぞうすいがおいしく感じました。人間の感覚って不思議なものです。

最終日にPCR検査して無事陰性で、親族に迎えられ、無事入国できました。

引っ越し(1)

ああ、9月もブログ更新が落ちてしまいました。。。

諸事情ありまして、ドイツ・ハイデルベルクから日本へ引っ越しました。

 

・大家さんへの通知

普通にWhatsAppで通知しましたが、契約上は書面で3か月前に通知することになっているそうです(Kündigungsschreiben)。フォーマットはあっちこっちに転がっています。

Mietvertrag kündigen: So geht's mit unserem Muster

後で知り、慌てて作成して、大家さんのポストに入れて、署名をしてもらいました。3か月以上前からの通知を義務付けている契約書は法律的に無効だそうです。

Kündigungsfrist Wohnung – Alle Fristen für Mieter und Vermieter

 

・携帯・インターネット手続き

携帯電話はプリペイドなので、そのまま継続。

ドイツのプリペイドでも大概は日本でローミングできるので(高いですが)、日本でも使えます。それでも、入国後は日本の携帯電話番号があった方が良いかなと思い、事前調達しました。実家などの郵送物が受け取れる国内の住所が記された身分証明書が手元にあったので出来た技ですね。

格安SIM/格安スマホ・インターネットサービスのIIJmio

で発行できました。実家よりドイツへ送ってもらいました。菅首相のおかげで月2GBまででも1000円以下と、大分安くなりました。

NUROモバイル

は厳しくて、書類が足りませんでした。

楽天モバイルは月々0円からということで、よさそうではありますが、機種によっては機能が限られているようです。所持しているWiko View 3で調べてみると、

ご利用製品の対応状況確認 | 製品 | 楽天モバイル

4Gデータ通信・SMS(楽天回線)はいけるけど、

以下の機能はご利用いただけません
通話・SMS(KDDI回線)・APN自動設定海外/国内・ETWS(緊急地震速報、津波警報の受信など)・110/119通話などでの高精度な位置情報測位

と出ましたので、ちょっと使えないかなあ。。。

 

家のADSL回線(O2)は、ネットのマイページで契約解除してから、確認の電話を10日後以内に入れる形式でした。ちょっと勧誘されましたが、すんなり受け付けてくれました。モデムは返却しないといけないのですが、返送手続きもオンライン上でできて、引っ越す前日にDHLで送り返しました。

 

・そのほかの手続き

妻の分の銀行口座は解除。直接窓口で出向きました。手数料など清算後残金を別の口座に振り込むようにします。

僕がお世話になっていたCOMMERZBANKは、長年管理費無料でお世話になっていましたが、この7月から規定が変わり、毎月700ユーロの入金がないと管理費月額(4.9EUR)を取るようになってしまいました。規定上はヨーロッパに住所を持たないと、口座も解約しないといけないのですが、そうはいったって離れてからもしばらくはお金の取引があるので、1個は銀行口座を残しておかないといろいろ不便です。帰国が急に決まったのでいろいろ手続きを間に合わせられる自信もなく、手数料はしばらくあきらめてしばらくは口座を残しておくことにしました。

小学校・保育園に連絡。大した手続きはありませんが、小学校の先生はかなり細かく記述の入った成績書(?)を書いてくれ、面談で手渡してくれました。コロナの影響でやっと通常授業に戻ったところだったので、ちょっと息子には悪いことしたかなという感じですが、、、出発する前日まで友達と少し感傷に浸りながら遊び惚けてました。もう帰るとなるとね、、、

NHKにあたるARDにも通知して料金支払いを止めてもらわないといけません。手続きはオンラインでできますが、転出届(Abmeldung)を市役所に提出したという証明書(Meldebescheinigung )が必要です。転出届を提出できるのは実際に引っ越す一週間前からなので、手続きはそれまでお預けになりますし、それから清算で場合によっては返金・追加請求ですので、やっぱり銀行口座は必要ですね。

Der Rundfunkbeitrag - Abmelden

住民登録がなくなる場合は、子供手当にあたるKindergeldも止めるようです。ドイツ国内で給与をもらって、海外に滞在する場合などは、そのままもらい続けるということもできるそうです。Familienkasseにオンラインで問い合わせて連絡します。数日後に書面で連絡が返ってきました。こちらもARDと同じく、転出届が必要です。メールでOKでした。

健康保険も連絡して止めてもらいます。これは大学内にTKの営業所があったので直接出向いて手続きしました。

電気代もオンラインで止めてもらいます。Stadtwerke Heidelbergと契約しているので、

https://www.swhd.de/から、

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と解約手続きです。電気メータを読んで送らないといけないので、実際に送信するのは最後に家を出る日になってしまいます。これも後日清算ですので、要銀行口座です。

ドイツで払った年金も本当は払い戻しの手続きとかいろいろあるらしいんですが、、、とりあえずはパスです。

大事な書類があとで届くかもということで、一応転送(Nachsendung)を郵便局に出しました。直接日本に送るサービスもありますが、研究室の秘書さんが受け取ってくれるというのでお世話になることにしました。日本と違って有料です。6か月で23.9ユーロ、12か月で26.9ユーロでした。

Nachsendeservice | Shop Deutsche Post

職場関係は自分で退職届(Kündigungsschreiben)を作って、教授にサインをもらうのだそうです。それをもって、秘書さんに手続きをしてもらいます。

退職届テンプレート(ドイツ語・英語) – hataraku.ch

研究費のあれこれもありますので、僕の場合だと学振やJSTと相談して調整します。

 

・N26銀行

ゆくゆくはCommerzbankの口座は閉じないといけないので、今後(?)のために、N26銀行というオンラインバンクの無料口座も開設してみました。ドイツ在住中じゃないと開設できませんからね。まあ、ヨーロッパ圏から離れたら本当は口座を維持してたらだめなんでしょうが、、、

口座管理費なしの鳴り物入りで参入してきたドイツ発のオンラインバンクですが、最近はしきりに有料の方の口座を薦めるので、なかなか商売がうまくいっていないのかもしれません。無料口座では、他社の銀行のATMから手数料なしで引き出せるのが月3回と限られていたり、現金での入金にも制限があります(場合によっては1.5%の手数料が取られることも)。基本はオンラインで決済して、現金での取引を減らしましょうという考え方なのでしょうが、ちょっと怖いなと感じるところもあります(携帯がなくなったら→スマホアプリのみでWeb版のページがなく、店舗もないので送金できないなど)。ヨーロッパで口座を持っている親族でもいないと、なかなかメインバンクとしてはちょっと難しいかなと思ってしまいます。こういうところで保守的になるのはもう若くない証拠ですね。。。

Compare Bank Accounts & Plans — N26

説明書き通りに申請して、スマホを通じたチャットで本人確認の認証があります。言われるがままにスマホの権限をオペレーターに与えると、フラッシュや背面カメラの切り替えとかも勝手に操作されました。。。恐ろしい。認証をOKすると、数週間後に無事フランスからMasterCardが送られてきました。ECカードとしても使える代物です(ドイツではまだまだクレジットカードを受け入れない店舗も散在します)。帰国までは妻の日常遣いのカードとして使ってもらいました。

海外で職探し(2)

・面接準備

面接に呼ばれると、日程調整。大体2,3週間後という感じでしょうか。形式は様々で、準備に追われて、実験どころじゃなかったです。

Dのところは、学部生向けのようなイントロ(5分)、研究のプレゼン(25分)、質問タイム(15分)、選考委員会の面接(45分)というスケジュール。

Eのところは、所内公開の公開シンポ形式の研究プレゼン(ディスカッション込で30分)、学部生向けの模擬授業(題目指定、20分)、選考委員会の面接(45分)、学生代表との面接、お偉いさんとの面接×2(それぞれ15分ぐらい)。

Fのところは、所内公開の研究プレゼン(30分)、研究構想(15分)、質疑応答(15分)で、一次面接はそれだけで、選考委員会面接はなしだそうです。

内容はどれも似たようなものになりますが、時間に合わせて、各ポジションの募集要項に合わせて、いろいろ微調整が必要です。応募先のことを今一度よく調べて、どんな共同研究ができそうかとかも、スライドに盛り込みます。研究科内の他のPIにも声をかけて、一度発表を聞いてもらいました。でき超悪かったけど。。。模擬授業もラボ内の人に見てもらって、学生から見て、難しすぎるところとか、いろいろアドバイスをもらいました。大幅に作り直すことになりました。

質疑応答は、サイエンス以外のところは大体決まっているそうで、答えをしっかり準備しておく必要もあります。

・志望動機は?

・研究室運営のプランは?(人数・予算のあてなどと、運営方針も)

・他の応募状況(ほかに面接に呼ばれていることも、アピールポイントになるそうで、選考委員会はほっとする(変な奴呼んでない)らしいです。御社が第一志望です!他は受けていません!みたいな人はリスクマネージメント能力がないと思われるそうです。)

・元ラボとの関係(どう元ラボと被らないように独立していくのか)

・教育に関する考え方

・男女平等などの、ダイバーシティに関する考え方

・質問はありますか?(場所、スペース、スタートアップパッケージの予算、必要な機器など、テニュアの審査基準はなど、自分が確認したいところを事前に用意しておく)

 

・本番

残念ながら、コロナで全部オンラインとなりました。。。行って見物がてらいろいろ話したかったですけどね。。。他の候補者ともいろいろ打ち解けるっていうし。実際、Dに至っては、他の候補者が誰なのかもわからなかったです。研究科内の部屋を借りて、黙々と一人PCに向かっていました。スーツは浮くっていうので、辞めました。

発表は公開だったり、非公開だったりしましたが、選考面接というのは分かっているので、緊張してあんまりシニア以外からの質問の機会はありませんでした。模擬授業のところで質問を投げかけても、シーンとしているので、応対に困ります。あとで聞けば、ZOOMのリアクション機能をうまく使った候補者もいて、あっ、なるほどですね。。。。オンライン授業にももう少し対応せんといかんかったかもしれません。。。情報を教えるのではなく、研究者育成の気持ちを込めて、どうしたらこれが発見できたのか的な観点を大事にしました。

Eだけは他の人の研究発表だけは聞けて、いろいろ勉強になりました。サイエンスはさておき、プレゼンの仕方などのテクニカルなところはこうやって経験値を積むんだろうなあ。他のところも聞きたかったです。さすがにほかの候補者はCNSやら、姉妹紙に出してる人も多く、パブリケーション的には見劣りしてますが、発表としてはダメそうなのが2人ぐらいで、あとの5人は、シニアとくらべるとやっぱりまだまだで(もう独立してないとおかしいレベルの人はいない)、一長一短で団栗の背比べかなー、というのが個人的な印象です。ひいき目入ってそう。ここまで来ると、合う合わないの僅差ですかね。

科学的な質疑応答では、一人英語がどうしても聞き取れない人がいて、何を言ってるのかが分からず困惑する場面もありましたが、何とか切り抜けます。ヨーロッパの各訛りが入った英語ばっかり聞いてると、急にアメリカ英語が来ても困っちゃいます。これもオンラインじゃなかったら、いろいろ他の人からのサポートをもらえるのでしょうが、、、

選考面接はまさにボスが言う通りで、上記に挙げたような質問を一人一人が聞いてくれる感じでした。印象的だったのは面接の最初で、各選考委員が時間をとって自己紹介してくれたことです。なるほどー。確かに、お互い、だれがだれか知りたいですよね。選考には外部委員も入っているのですが、Dの外部委員にFの人が入っていて、Eの外部委員にDの人が入っていて、もう全部つーつーですね。どこで何しゃべったのか全部わかられてそうです。

まあ、細かいところではいろいろ反省すべき応答もありますが、自分のやってきたこと、やりたいこと、人となりは大体は伝わったかとは思うので、あとはもう好きにしてくれと、思うぐらいにはできました。予算はどこも似たような感じで、研究員1-2人、テクニカルスタッフ1人に、スタートアップ5-600万円ぐらいに、基礎の予算が毎年4-500万円ぐらい付くく感じでした。共用施設や設備が多いので、これでも、日本だとかなり良い条件のような気がします。それもあって、海外で職を探しているわけですが、、、

 

・二次面接

一次面接後、Fのところから連絡が来て、二次面接へどうぞとのことでした。そんなにしゃべりに自信はなかったから、素直にうれしい。二次面接はチョークトーク(90分)をしたのち、各PIと30分ずつのトークで、丸一日かかるんだとか。次の日も、今度はFのところから、施設やサポート体制などについての説明を受けるらしい。チョークトークはしたことがないので、これも準備に追われました。いや、、、みんなどうやって職探ししながら研究してるんだろ。

オンラインチョークトークになるので、ZOOMでいろいろ試してみましたが、マウス入力で書くのは論外にしても、iPadをつないでもちょっとタイムラグがある感じでした。ちょうどディスプレイをまだ買ってないPCがあったので、Wacomのペンタブを購入。ディスプレイにもなっているので、使いやすかったです。

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ZOOMのホワイトボード機能を使いこなすために、何回も練習しました。文字はタイピングできるので、使いこなせればチョークより便利でした。面接前に、今後の参考に、シニアポスドクが見学してもよいかと聞かれ、OKしました。初めてだし、僕のチョークトークを見てもあんまり参考にならない気はしますが、、、しかし、キャリアサポート的には、こういう機会があったらよかったなと、ちょっと恨めしくも思いました。

練習のかいもあって、チョークトークで準備したことは伝わった感じですが、「なんでその実験系なの?」「その実験系じゃないとわからない問いなの?」といった問いに、あんまり満足する答えを出せませんでした。まあ、そういう自覚もあるので、何回も聞かれているうちに、こっちが白旗を投げてしまったのもありますが。。。ただの実現可能な研究プランじゃなく、その実験系じゃないと答えられない、生物界を驚かせるようなビッグなクエスチョンに取り組む提案がみたいそうですが、今のところ、自分でも心底そうだと思えるような提案をできていないので、まあ、実力・構想力不足といったところでしょうか。

各PIとの面談は、研究内容を聞かせてもらったり、雑談したりといろいろでしたが、自分と近い分野の人とは早速反省会みたいになっていて、僕はわかるけど、他の人にはもっと売り込み方を考えないと!と親身なアドバイス(説教?)をいただきました。翌日は事務方、実験サポート担当の両方から、候補者に一人ずつプレゼンをしていただいて、いやー、すっげーいいとこだわー、と逆により行きたくさせるような内容でした。ほんと、すごい。着任一日目から研究できるように、事前準備しますとか、聞いたことない。。。

 

・結果

Dは面接依頼、音沙汰なし。裏から聞いたところによれば、落ちたらしい。ちょっとほしい分野と違っていて、さらに男女参画てきな部分もあって、ノーチャンスだったらしい。

Eは思わせぶりで、面接後、教育ポートフォリオを提出してくれとか(4-5枚はあった)、CVに子供のこと書いてないけど、子供がいたのか、その子育て状況は?(育休はあったのかとか)を聞かれ、後日それを書いたCVを再度提出してくれとか、いろいろ追加で提出させられました。こりゃチャンスあるかも!?と期待していましたが、5月になって、3位でウェイティングリストに、いう結果が、郵送で届きました。通常のポジションなら、3位でも脈ありですが(上位者は複数のところからオファーをもらうことが多く、おこぼれが回ってくる)、今回はテニュアトラックのポジションなので、おそらくなさそうです。

Fはすぐにメールが来て、やっぱりVisionが求めるものより小さかったとの返答でした。なにはともあれ、フィードバックがあるのはありがたいです。他のところも、非公式に尋ねればいろいろどうだったか教えてもらうもんだということなのですが、ZOOMでオンラインしかあってないと、難しいところですよね。。。

 

そんなわけで、結局ポジションを探す意味では全滅でしたが、アプリケーションも発表も、だんだんと磨かれていきましたし、自分の研究に対して、いろいろ考える機会になりました。多くのPIと話して、多少なりとも名前を憶えてもらえる機会は貴重で、話をしていても、勉強になることが多かったです。今後、こういうネットワークが、いつかはきっと役に立つことでしょう。役に立たせます!

 

海外で職探し(1)

ポスドクも6年目に入ったことだし、そろそろ次のステージへ行きたい頃です。ドイツ留学後の論文が1報出て、2報目がリバイスにかかったぐらいですので、まだまだ条件は整っていませんが、どの人に聞いても、まずはこいつが就活してると認識してもらえるのが大事だと言いますので、いくつか応募してみました。あまり成功談でもありませんので、ひけらかすほどのことでもないですが、誰かの役に立てれば…?

まだ海外学振の任期が2年はある頃でしたので、とりあえずは独立ポジションねらいです。幸いヨーロッパだと定期的にそういうポジションの公募はよくあり、国内よりはチャンスがあるイメージです。ということで、ひとまず海外から探し始めることにしました。

 

・1~3戦目

子供のことも考えると、とりあえずはドイツ語圏内に狙いを絞って探します。情報源は今やすっかりTwitterがメインになっています。大概は一番情報が早いです。領域のインフルエンサー(?)的な人を何人かフォローしておくと、大概の公募情報は手に入ります。CVと、研究計画と、各大学の様式を埋めて、カバーレターを添えて応募します。朱書き書留は一個もありませんでした。すべてメールです。いやほんと、日本の応募システムなんとかならんかな。。。論文の別刷を印刷してくれとか今時、、、以下略。

アメリカとは文化が違うようで、婚姻状況や子供の数は普通に聞かれます。インパクトファクターからのh-indexとか、引用数も書けとのことです。応募する方が四の五の言っても仕方がありませんので、素直に応じます。他のところに応募して何位でしたか?という枠もありました。ドイツの教授ポジションだと、最終選考まで残った人には順位が付され、上の順位の人から順に交渉していくのだそうです。日本的な考え方だと、他のところにどう応募しているかは、隠したくなってしまいますが、ボス曰く、これはどちらかというとアピールポイントらしい。採る方も引く手あまたな候補者の方が安心するらしい。。。さいですか。

A. グループリーダー   5月応募→6月 不採択通知

B. グループリーダー 9月応募→9月 不採択通知

C. W2プロフェッサー 9月応募→10月 不採択通知

それなりに時間をかけて準備したつもりでしたが、すべて書類落ちで、箸にも棒にも掛からない感じでした。

 

・4~6戦目

Cに応募するあたりでさきがけが内定。ボスも「こりゃチャンスあるかも」となって、いろいろと参考例を見せて、本気で書類の手入れをしてくれるようになりました。

指摘ポイントとしては、まず写真を撮りなおせ。これまでは自分で撮った日本の履歴書風の写真を使っていましたが、これはいけてないとのこと。思うに、これは見た目がどうのということではなく、欧州・ドイツの文化知ってますよというメッセージなのかなと思います。ヨーロッパの慣習や文化に対して気もかけない人だというのは、これからの同僚を選ぶ際にはマイナスポイントなのでしょう。実際、他の参考例から日本の履歴書風の写真は見たことなく、皆さん斜め上から撮ったり、満面のスマイルだったりといろいろですが、個性豊かな写真でした。そういうことなので、プロの方に撮っていただきました。

次に、CVはもっと自由に、アピールしたいことは読みやすければいくら書いてもいいよとのこと。大学のポジションは教育も大事なので、指導した学生や、担当した実習などは細かく羅列し、教育に関する考え方なども数パラグラフ分は書いたほうがいいよとのこと。そういうのは応募要項に書いてなくても、書いてマイナスになることはないからだそうです。ついつい要求された必要項目だけ書いてしまうのですが、そういうものじゃないらしい。論文リストも、ただ羅列するだけじゃなくて、重要な論文はどれか、簡単な説明とか、申請者の役割とか、この論文をどう捉えているのとか、いろいろ織り交ぜて、自分を売り込まないといけないらしい。たしかに、日本の公募によくあるような字数制限はほとんど見かけませんし、様式もほぼ自由なことがほとんどでした。志望動機みたいなことは、カバーレターで丁寧に説明します。元ボスから、どう袂を分かつのかも気になる点なので、よく説明します。

研究計画は4、5ページもあれば十分だが、大体はスタッフ(ポスドクか博士課程の学生)2人ぐらいの人件費はつくので、それに見合うようなスケールで。応募先でどういう共同研究が考えられるかはよく練っておくこと。長期の展望も書いておく。学位の証明書だけでなく、学部や修士の証明書も添付するようで、大学の成績や、中には高校の成績証明書を添付している人もいたぐらいでした。こんな感じなので、添付書類も合わせると応募書類は全部で2、30ページは軽くいくもののようです。成績証明書は持ってきてなかったので、あわてて大学・大学院の教務掛に問い合わせて、英語で発行してもらいました。

なんというか、僕だけかもしれませんが、申請書類は要求されたものを提出し、様式の空欄を埋めて、聞かれてないことは書かないものだと思っていたところがあって、その辺りは意識を改めないといけないところでした。いろいろな例を見せてもらいましたが、本当にみんな多種多様に自分を売り込んでいました。なるほど。。。そりゃ落ちるわけですな。

 

そんな感じで書類をブラッシュアップして、他の人と見劣りしないぐらいにして、さきがけ研究費のことも織り込み、論文が出そうなところや、最新のデータも織り込み、再び応募。

D. W1プロフェッサー(テニュアトラック)  10月応募→11月 面接へ招待通知→12月面接

E. W1プロフェッサー(テニュアトラック)  10月応募→11月 面接へ招待通知→12月面接

F. グループリーダー 12月応募→1月 面接へ招待通知→2月面接

すると軒並み面接に呼ばれるようになり、教授の指導が効果的めんです。まあ、これはちょっと出来過ぎです。詳しいことはかけませんが、D-Fのなかには、A-Cと同じ研究機関が二つも入っていますので、一回落とされたからといって、気にする必要はないようです。面接にも呼ばれてない申請書なんて忘却の彼方。。。じゃないにしても、誰も気にしないということだと思います。また、ジョブマーケットにいることを認識してもらってるおかげで助かったこともあったようですので、ピンポイントで狙うんじゃなくて、いろいろ申請しておくものだなというのも身に染みて感じました。

そういえば、推薦書があんまり要りませんでした。Dのところだけは、面接への招待通知のときに、推薦書を一通だけ送ってくれとのことでしたが、他のところは結局連絡先だけで、問い合わせは来なかったかと思います。日本だと応募時に推薦書を要求するところもあるので、もう少し応募する方の手間暇も考えてほしいところですね。。。