Wunderbarな日々

妻子連れ30代生物系ポスドクのドイツ滞在記です。

ポツダム(1)

2年4か月ぶりのブログ更新です。

 

とある会合で、「ブログやっていますよねえ?」と同業者に言われ、はぐらかすのもためらわれるほどの確信的な目つきだったので、素直に「よくご存じで」と白状。まさかハイデルベルクともドイツとも関係ない人に読まれてるとは思わなかった。。。

「もうブログ辞めちゃうんですか?」
「いや、人様に迷惑が掛かるといけないので、最近は書けないことが多くて、、、」と言うと、「研究の話じゃなくても、書ける範囲でいいじゃないですか。」と励まされ、それもそうだなと、もうすこしだけ更新することにしました。翻訳AIが発達した今は何語で書いても地雷を踏みかねないけど、まあ何かの役に立つことがあることを願って、もう少しお付き合いください。読者コメントはやはり励みになります。

 

・Potsdamへ引っ越し

縁あって、ポツダムで職を得たので、日本からポツダムへ引っ越し。首都・ベルリンは東京23区的のような都市州だが、それをぐるりと囲んでいるのがBrandenburg州で、その州都がPotsdam市である。Berlin中心部まで電車で30分ぐらいの距離で、東京ー横浜ぐらいの感覚。ポツダム宣言は、市内のツェツィーリエンホーフ宮殿(Schloss Cecilienhof)で行われたポツダム会談に由来している。

ドイツに再びやってきた2022年3月頃は第何波だかわからないけど、ヨーロッパではCOVID-19のオミクロン株が流行のピークを迎えていて、2月24日はロシアによるウクライナ侵攻が始まり、まあ控えめに言っても最悪のタイミングといってよかった気がする。実際、スーパーにいつも売られている小麦粉はないわ、油はないわで(高級品はまだあった)、早く戦争が終わればいいなと淡い期待がまだあったころだった。

パンデミックでいつまた国境が閉められるかわからなかったので、念のため就労ビザを在日ドイツ大使館で取得していたが、結局6か月分(家族は3か月分)しか降りなかったしし、手間が増えただけだった。まあ、備えあれば患いなしではあったが。

フライトもロシア上空が急に飛行自粛になったため、いろいろ二転三転し、最終的に飛行ルートと時間が確定したのは出発の五日前だった。NH1901として羽田からウィーンにテクニカルランディングし、降りることなく二時間半後にNH1903としてフランクフルトへ飛び、そこから乗り換えてLH190でベルリンまでという行程で、ドアtoドアだと30時間ぐらいはかかった気がする。ウィーンまで来たんだからフランクフルトまで行けそうな気がしたが。。。まあ無事飛べただけありがたい。

賃貸アパートは残念ながら事前には見つからず、とりあえずプライベートのゲストハウスを二部屋借りて入居。到着した日の夜に、管理人が町で一番だよというEICHE PIZZERIAからデリバリーでピザを頼んでみるも、味はいまいちで。。。あとで町にはピザ屋が一軒しかないことがわかり、そりゃ確かに町一番だろうよ。ただ名誉のために言っておくと、あとからできる息子の友人によれば、この店のPizza Dönerecci という、伊土折衷メニューがうまいらしく、いつも食べてるそうなので、マルゲリータとか頼んだ私たちが良くなかったのかもしれない。それも食べてみたけどそんなにうまくはなかったけどなあ、、、味覚はやはり人それぞれなのか。

 

・諸手続き

諸手続きはWelcome Centreの手厚いサポートで概ね滞りなくできた。ベルリンの空港からポツダムまでのタクシーも手配してもらったり、市役所や外国人局もWelcome Centre専用の予約枠があるらしく随分スムーズだった。ポツダム市の市役所は当時はオンライン予約必須で、今でも予約推奨なのだが、予約が空く朝8時はアクセス集中で、すぐにいっぱいになり、自力じゃとても引っ越し二週間以内に届け出られるような状況ではなかった。今では予約がなくても窓口に行けば、待つには待つがその日のうちには何とかやってくれるらしい。ということで、ポツダムへの引っ越しが決まったら、まずは市役所の予約を取りましょう。

Terminverwaltung Bürgerservicecenter

住民登録が済まないと、小学校へ入学できなくて、ようやく住民登録が済んだら、今度は校長先生が体調不良で休みで、そのあとはイースター休暇で、入学のお話は4月末にしましょうとのことに。あまりやる気はないようだ。日本だと金曜に届けたら、次の月曜には小学校は入れたけどなあ。。。Welcome Centreには幼稚園の手配から、小学校入学のサポートまでとどこまでも面倒を見てもらい、さらには随所・随時にドイツ語-英語の通訳(学生のバイト)まで派遣してくれる徹底ぶり。大変助かりました。あんたたちドイツ語解ってんじゃん!と突っ込まれたけど、これも念には念を入れよということで。

息子は既にHeidelbergで小学校に通っていたが、Brandenburg州ではSchuleingangsuntersuchungなる入学診断的なものが必要で、病院ではなく保健所(?)のような健康省が担当らしい。場所も変わればルールも変わるようで。一応入学後でいいよとは言ってもらったが、予約をとってそそくさと出かけてすませた。

Öffentlicher Gesundheitsdienst | Landeshauptstadt Potsdam

他にも小学校の放課後に子供を預かってくれる場所がHortと呼ばれていて名前が異なったり(HeidelbergではSchulkindbetreuungと呼ばれていた)、そもそもそんな施設が学校近くで二つもあって、好きな方を選んでと言われたりと(でも同級生はほとんどが片方のHortに行っていて、実際は選択の余地はなかった)、同じドイツの中でもいろいろ勝手が違った。

 

・Brandenburg州は金がないらしい
Heidelberg時代はなんだかんだでほぼ無料だった小学校の教科書・教材代がPotsdamでは一人当たり15ユーロしかサポートされず、学校側も「教科書以外は必須ではないけど、あったほうが。。。」と強制しない立場らしい。いやいや、ないと勉強困るでしょうに。結局教材だけで100ユーロ分ぐらい購入した。他にも学校全体で顕微鏡が2台しかないとか、タブレット端末がクラスで1台しかないとか、どうやら州の予算があまり潤沢ではないらしい。

Liste der deutschen Bundesländer nach Bruttoinlandsprodukt – Wikipedia で見てみると、Bruttoinlandsprodukt (BIP)というのが州ごとのGDPだと思うのだが、一人当たりだとHeidelbergがあるBaden-Württembergが54339EUR(5位)のに対して、Brandenburgは37814EUR(13位)とその7割にしか過ぎない。

[2] Bruttoinlandsprodukt, Bruttowertschöpfung | Statistikportal.de

また、2017年とちょっと古い統計の地図を見てみると一目瞭然で、東ドイツではベルリンだけ頑張っているが、周囲の州は軒並み低く、東西統一30年経っても依然として格差は解消されていない。

Radom1967, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons

日本語補習校の図書室では「がんばれ、ブランデンブルク州!」という本も置いてあり、なかなか面白かった(リンクはアフィリエイトです)。ほかにも、同僚にはブランデンブルク州の哀愁をうたった曲を紹介してもらった。700万回も再生されており、もはやネタになっている。

www.youtube.com

歌詞はこちらから。なかなかひどい。

Rainald Grebe & Die Kapelle der Versöhnung – Brandenburg Lyrics | Genius Lyrics

 

研究員の給与自体は全国でようやく統一され、東も西もない。東西格差はドイツ国内でも課題になってはいるのだが、根が深い分、対処が難しい。教育現場に差が出ると格差が固定化されない。実際問題、学生たちは良い職を求めて西へ南へ移動することになる。通訳で来てくれた学生も教育課程だそうだが、地元での教員は待遇が悪く、できれば違う職に就きたいと言っていた。

とはいえ、Potsdamはそんなブランデンブルク州の中でも州都であり、そこまではさびれてないのだが、、、。