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Wunderbarな日々

妻子連れ30代生物系ポスドクのドイツ滞在記です。

職探し

学位をドタバタでなんとか取得して、そのあとに職探しを始めました。所属先の研究室にしばらくはポスドクで雇っていただけるということだったのでこうなりましたが、本当は学位取得前に準備するのが筋でしょうね。。。僕の場合は特に「一生これがやりたい!」というものがまだ見つかっていなかったので、とりあえずは面白そうなことで、視野が広がりそうなことをと思っていました。研究職は海外に絞って探しました。日本のほうが研究環境が良いという話もよく聞きますし、生物系では海外に行かないとできないような研究もほとんどありません。が、まだ20代でしたし、何事も自分の目で見ておきたいなという気持ちが強かったです。

 

・民間転職

研究者でやっていくんだ!という自信も覚悟もまだなかった(いまでもまだないんですが・・・)こともあり、民間も視野に入れていました。卒業してあるいみ就職しちゃってたので大手就活サイトには登録できず、転職サイトにお世話になりました。JAC Recruitmentさんには、紹介できる職はありませんと言われ、アカリクさんからはいくつか紹介していただきましたが希望に合うものはありませんでした。「長期インターンシップ『キャリアステップ』」って要は派遣ですよね。。。いくらなんでも平気でそれを紹介できる神経が理解できん。というか、ドクターもちの市場価値はそんなものなのか。。。

一番丁寧に対応していただいたのは結局Recruit Agentでした。継続的に仕事を紹介していただきましたし(???という求人も混じっていましたが)、連絡もスムーズでした。ただ転職活動はなかなか困難でした。一応は高学歴の部類には入るし、面接ぐらいには呼んでもらえるだろうとちょっと舐めてましたが、実際は「お見送り」の嵐でして、応募しても応募しても落とされてました。次のステップに進めたのは結局戦略コンサルティング系だけでした。僕個人の問題も多大にあるでしょうが、転職は即戦力を求めいることが多く、とりあえず採用してゆっくり育てる感じではなさそうです(あたりまえだよと言われそうですが)。学位論文の準備で忙しいのはわかりますが、就職活動は卒業前をお勧めします。戦略コンサルティングも結局5回面接(Skype面接含む)をしたのに後で落とされ、民間転職はかないませんでした。いよいよ東京でサラリーマンかと思って浮かれ始めて家を探し始めたのがいけなかったですね。はい。

 

・海外ポスドク

民間転職と並行して、ドイツを中心にいろいろポスドク先を探してました。旅行した時にドイツの雰囲気がなんとなくいいかなと感じたのが大きかったです。いままでやっていた分野から少し変えたかったので、とくに紹介もなく飛び込み営業です。http://www.drarbeit.de/のMLに登録したり、https://www.researchgate.net/jobs も定期的に見てました。興味があるものには、CVや教授の紹介状を添えて応募しました。ただ、面接にはなんとか進むものの、最後は経験が、、、と言われ、落とされました。それ自体はただの口実かもしれませんし、つまるところは僕がそんなに魅力的じゃなかったからだと思いますが、まあ、自分の研究費をいきなり分野外の若造に託すのはちょっと・・・という気持ちも理解できたので、奨学金を探すことにしました。

 

・奨学金(フェローシップ)

日本学術振興会の海外特別研究員と、フンボルト財団の博士研究員(Alexander von Humboldt Stiftung Postdoctral Researcher)の二つに応募しました。職探しを始めてから数か月経っているのに目星もついていなかったので、そろそろヤバいかなと思って、海外学振のほうはこれまでの関連分野で堅めに書類を書いて応募しました。応募してたポスドクがいけるかなと思っていたのに、急に落とされたのもあって、書類を書き始めたのは締め切り直前。現在の研究の延長上で面白そうなテーマを選び、アメリカの相手先に教授の紹介を経て了承をもらい、なんとか応募できました。

応募して一息ついていたところで、保険もかけないとなというのと、ずっとこのまま同じ分野の研究っていうのもちょっと視野が狭いと思いました。まあ、大体の人はそのまま続けるので別に特に問題があるということではないですが、最後にもう一回ぐらいは挑戦してだめなら分野転向はあきらめて頑張ろうと決心し、ポスドクを応募して落とされたところにフンボルト財団(AvH)のフェローシップを出していいかと相談して、応募しました。このあたりの詳細な話はまた別のエントリーで記したいと思います。

そうこうしているうちに学振から連絡が来て、面接に来てくれということでした。Tスコアという標準偏差みたいなのが開示されるのですが、いろいろ換算するとかなりぎりぎりのボーダーっぽくて、もう少しで落とされるところだったらしい。。。もう一度読み直すと、確かに堅いけど、ちょっと夢も希望もないような申請書にも感じました。そこから意義や重要性などを見直して、概念的にわかりやすく図なども新調して、プレゼンをつくりました。初めからこれぐらいやっとけばよかったという後悔もありますが。。。

四ツ谷の学振に出かけて面接。面接官の一人はよくよく存じ上げている方でした。担当分野ということもあってが、質疑応答の時間ではすかさずその先生が質問。

「I'm still not understanding why...?」

えっ、英語!前の人の質疑応答では日本語が廊下に漏れて聞こえてきてたから、油断してた…。たしかに書類には英語で質問する場合もありますと書いてあったけどさ。。。しどろもどろになりながらもなんとか応答。詳細はあまり覚えてませんが、何がわかってなくて、結局なにをしたいのか。そのどこが重要なのかみたいな典型的な質問だったと思います。最後は審査委員長のような先生が、

「So, why do you want to study abroad...?」

と、俺も英語で質問しないと格好つかないようなみたいな感じで質問。もっと広範な意味で、研究に対する考え方などを派遣先の先生から学んで、今後の糧としたいみたいなことを答えました(英語が伝わっていれば…)。

 ほどなく結果が開示され、採用とのことでした。AvHの方も数か月後に採用通知が届きました。アメリカに行くか、ドイツに行くかは少し迷いましたが、せっかくの機会なので新しい分野に飛び込んでみようと思い、AvHの方を選びました。学位を取得してから丸一年たったころの話です。アメリカの先生には丁重に断りを入れました。こういう時は本当に英語に困る…。学振にも辞退届を出しました。

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頑張って研究が滞らないようにはしたつもりですが、なんだかんだで就活中は気分が落ち着かないもので、研究に没頭するのは難しいです。結局、ポスドクに落とされたところに奨学金をもっていくことになりました。良くとらえれば、奨学金のほうが自分でテーマを提案できるので自由に研究できますが、逆に言うとお金を持ってくる人を断る人はまあいないので、自分の能力が受け入れ先に認められているわけではありません。奨学金が切れても、雇いたいと思うような評価が得られるよう頑張らないといけませんね。