Wunderbarな日々

妻子連れ30代生物系ポスドクのドイツ滞在記です。

生活雑話(7)

・Heilbronn

HeilbronnのTheresienwieseでフリーマーケット(Flohmarkt)が2018年の9月に行われました。結構大規模で面白そうということで、Flixbusに乗って家族で出かけました。息子は観光バスに乗りたがっていたし。Heidelbergから一人片道5ユーロ。安い!子供はチャイルドシートを自前で持っていく必要があります。

 一時間の道のりですが、渋滞で30分ぐらい伸びました。バスターミナルから駅中心まで歩いてみると、市庁舎がなかなか立派。

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そして、にぎやかな雰囲気。ちょうど ワインまつりも開催中です。

Heilbronner Weindorf

第48回ということで、歴史もあるワインまつり。30近いワイナリーが露店を出して、グラスワインをふるまいます。グラスは買い取り制ですが、使いまわしできます。一杯数ユーロで、赤、白、ロゼとそろっているワインナリーが多いですね。ブドウジュースを出しているところも多く、特に冷えたスパークリングぶどうジュース(Traubensecco)が絶品。ワイングラスホルダーを買って、首から下げてぶらぶら歩いてたら、息子に奪われました。。。ワインが本当においしく、ここは来年もう一度訪ねてみてもよいかも。

https://thumbnail.image.rakuten.co.jp/@0_mall/auc-collette/cabinet/winegoods/img62664785.jpg

 (↑こういうやつです。 出典:https://item.rakuten.co.jp/auc-collette/510242/

 

フリーマーケット会場までは、バスで移動。だだっ広いところに数百店舗がでていてなかなか壮観。いらないものを売りに出しているというよりは、業者っぽい人が多かったですが。。。HDMIケーブルと消防車のおもちゃを買って、道すがら、ダンボールで組み立てる鳩時計をおじさんからもらいました。妻はアンティーク食器を狙ってましたが、そういうものはあまりなく、実用的なものが多いマーケットでした。

 

・お誕生日会

幼稚園に通っていると、子供がお誕生日会にお呼ばれするようになりました。

誕生日を迎える本人から招待状(Einladung)をもらうと、日付と場所が書いてあるので、参加するかどうかを親御さんにご連絡。場所は大体自宅か、公園か、室内遊び場(Indoorspielplatz)かです。当日はもちろん誕生日プレゼントを持っていきます。およそ3時間ぐらいで、親御さんがいろいろとアクティビティを考えて、子供たちが一緒に遊ぶ感じです。保護者は残る場合もありますが、大概はバックレてますね。終わりの時間になったらまた迎えに来るので、それまでは週末の貴重な自由時間の確保!うちはまだ子供を置いてったことありませんが。。。

印象に残ったこととしては、まず音楽。楽しいPartyの雰囲気にするためには、音楽は重要と考えられているようで、もっぱら子供向け音楽というわけでもないです。

Topfschlagenというの鍋たたきが伝統の遊び。鍋をひっくり返して、中に小さいご褒美(グミとか)を隠し、その場所を目隠しした子供が、スプーンであちこちたたいて見つけるゲームです。まわりは、鍋の場所に近づくと「warm」、遠ざかると「kalt」といってヒントを出します。Wikipediaには1744年に描かれたTopfschlagenの絵が紹介されていますから歴史ありますね。

de.wikipedia.org

コロンビア出身のお子さんのパーティに出かけたときは、キリンをかたどったくす玉を割る遊びもありました。「ピニャータ」と呼ばれるもので、これも目隠しして割るのが本来の遊び方の様。中南米地方の伝統です。くす玉の中にはお菓子や小さなおもちゃが大量に入ってるので、割れたら一斉に子供たちが袋に自分の分を詰め込みます。お兄ちゃんがずる賢いから、お菓子に群がる小さい子をしり目に、おもちゃだけ全部集めてたら、案の定親御さんに怒られて、しぶしぶほかの子のお菓子と交換させられてました。。。

ja.wikipedia.orgどんなプレゼントよりも、普段は幼稚園でしか遊ばない友達と、違う場所で一緒に遊べるのが一番の様で、Geburtstagskrone(紙製の誕生日王冠)を付けた誕生日の子も、ほかの子も、大体は疲れ果てるまで遊びます。時間が来ると親たちが迎えに来て、楽しいパーティのお開き。まだまだ遊び足りないと駄々をこねたりするのもかわいい感じですね。

今年はこんなパーティをやってあげたいけど、、、どうやるか、、、

 

・ファミリーコンサート

Mannheim – Kulturhaus Käfertal: 30.12. 18 Uhr Familienkonzert der Mannheimer Philharmoniker – /// METROPOLREGION RHEIN-NECKAR NEWS & EVENTS

クリスマス休暇明けの12月30日。マンハイマー フィルハーモニカーのファミリーコンサートに、長男と二人で行ってきました。ハリーポッター、スターウォーズ、ET、パイレーツオブカリビアンなどの映画音楽から抜粋したコンサート。年明けにコンサートがあるからその宣伝も兼ねてのファミリコンサートでしたが、ボリュームたっぷりの1時間ほどの熱演でした。サントラもいいけど、生のフルオーケストラでのこういう曲は迫力があります。

 若い人が多いオケで、エネルギッシュな感じです。2009年に創設された新しいオーケストラですが、地方オケとは思えないほどの演奏で、ドイツの音楽プレイヤーの層の厚さを感じさせますね。また機会があったらもう一度聞いてみたいです。

 

・サンタトラム

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Adventsexpress | Interessengemeinschaft Nahverkehr Rhein-Neckar e.V.

12月の日曜日はアドベントでろうそくをつけたりして、クリスマスが来るぞ来るぞとテンションをあげていくわけですが、ハイデルベルク市内ではサンタさんを載せたトラムが走りました。

Die Interessengemeinschaft Nahverkehr Rhein-Neckar e.V. (IGN)という、ラインネッカーのローカル列車を集めてイベントなどに貸し出している団体があって、そこが主催したイベントの様です。

ハイデルベルク市内をぐるぐる回る運行で、チケットは無料。中で飲み物を注文する方式です。2018年の時刻表はこちら。

http://historischernahverkehr.de/wp-content/uploads/2018/11/2018_Adventsexpress_Heidelberg_Fahrplan_LangeNachtEinkaufen.pdf?fbclid=IwAR3YZBl4-xPRWXwyRPCzj3WxLZBbRsDnTosvmejsKe_ojLW0zbZoTYo61j0

1925年から40年の間、運航していた TW 44という路面電車の車両をリノベーションして使っているようです。ドイツの鉄オタたちもなかなかすごいですね。

www.ign-ev.de

一時間150ユーロとかで借りれるようです。いつか貸し切ってパーティしてみたいですね。

息子も気に入ったようで、二回りぐらい乗ってたのですが、Handschuheimでの待機時にサンタさんが疲れたようで、ひげをとって車内で休憩するという愚行。。。ひげが取れるサンタは偽物だよと言ってその場を取り繕いましたが、果たしてちゃんとごまかせたんだろうか。。。

産後の育児と訪問助産婦(Hebamme)

・助産婦さんと打ち合わせ

ドイツでは産院からの退院が早い代わりに(第二子の帝王切開で入院は3泊4日でした。)、助産師(Hebamme)の方に自宅に来ていただいて、いろいろ面倒見てもらうことが一般的の様です。まあ、第一子でいろいろ段取りはわかっているので、必須ではないかとも思いましたが、郷に入ってはなんとやらで。

ヘバメの数は多くなく、探すのは結構難しいようでしたが、隣人のヘバメさんの紹介でなんとかありつけました。最初の連絡だけはメールでしたが、以降の連絡が基本電話で、ヘバメさん側へはいつも基本留守番電話にメッセージを吹き込むようになっていて、毎回ドイツ語の試験みたいです。

https://www.grn.de/fileadmin/user_upload/klinik-weinheim/gynaekologie-geburtshilfe/pdfs/Hebammenliste_Rhein-Neckar_2015.pdf

妊娠3か月から4か月目にかけて2回ほど自宅まで来てもらって、面談。一人目の出産・育児状況などについていろいろ話をして、お互い大丈夫そうということで、お願いすることになりました。通常のドイツの国民健康保険ではカバーされますが、DAAD Tarif 790の保険では対象外ということでヘバメさん的にはびっくり。全部合わせて、おおよそ700ユーロぐらいだそうです。

 

・出産後の訪問

出産予定の月ぐらいになって、近況を一度留守番電話に報告。生まれた後と、退院が決まったときにも連絡をして、退院翌日の月曜日の朝に自宅で久々に再会。結局、産後、4, 5, 6, 7, 9, 11, 14, 18, 22, 29, 43日に来ていただいて計11回でした。妻の方は、傷口の状態や回復状態の確認と抜糸、授乳や乳腺炎があったのでそのケア。新生児の方はへそ周りの消毒、体重測定、入浴指導などでした。

 

最初いきなり言われたのが、部屋が寒い!暖房(Heizung)のバルブをひねりました。そして赤ちゃんの足がむき出しなのはいかんということでした。ドイツ的には赤ちゃんは大人より一枚多く着せることになっているそうで、頭は帽子で、足は靴下を履かせてポカポカにするんだとか。早速dmで靴下を買ってきました。日本だと汗トラブルが多いのですこし薄着が良いよという指導でしたが。。。

 

赤ちゃんの目やにには、生理食塩水の目薬が渡され、気になる時はこれで涙がわりに洗い流すんだとか。へー。オムツかぶれには羊の油のクリームが渡されました。へー。ヘバメさんはカバン一つでやってくるので、体重測定は吊り下げ式のバネばかりに、サックに入れた赤ちゃんを吊るす方式でちょっと笑える。。。足裏の外側を1日数回ほど撫でるようにという指導も、、、O脚防止?

 

乳腺炎については、授乳前は温かいタオルで温めること。スーパーでQuarkという乳製品を買って冷蔵庫で冷やしておいて、ペーパータオルに挟んだものをあてて、授乳後に冷やすように言われました。ドイツでは結構一般的なようです。同じく一般的なものとして、Retterspitzというところが出している外用薬も勧められて、薬局で買いました。匂いはちょっとするけど効くんだとか。。。処方箋なしで買えるので特に薬用という訳ではなさそうですが、いろんな油が入っているようです。

Verletzungsfolgen & Schwellungen behandeln: Retterspitz Äußerlich | Retterspitz Online-Shop

 

入浴は週に一回ぐらいが目処で、ベビーオイルで入浴後の肌のケアを入念にとのこと。暖房で暖かくなってますが、その分乾燥してますからね。これも毎日入浴させる日本とは結構な違いです。シワを伸ばして中も拭くようにとのことで、動物園の飼育員さん気分です。

 

ヘバメさんが定期的に家に来るので、いろいろちゃんとしなきゃという気になります。部屋温めて、靴下履かせて、Quark準備して、家片付けて、、、そういう査察ではないんですが。いろいろ迷わずに指示が来るので、気が少し楽になります。来てもらわなくても大丈夫だったけど、プロの方に見てもらいながらの方が、安心しながら子育てができました。最後の一回はちょっと寂しい雰囲気に。訪問が終わっても、何か悩みや相談があれば、いつでも電話してくださいねとのこと。実は英語ペラペラだったことが最後に発覚。ドイツ語で頑張って通したのに。。。ヘバメさん的には母国語のドイツ語の方が安心だったからでしょうか。

 

後日請求書が届きました。訪問一回につき約40ユーロで、面談2回も合わせて計13回でしたので、約510ユーロ。交通費やらいろいろ合わせて、計600ユーロの請求でした。産後ケアの分の助産婦さん代はでないという保険でしたが、医療処置については支出されます。助産婦にその旨を伝えて、乳腺炎のケアと抜糸のことは請求書で特記してもらうようにし、その日時の分の費用を保険会社に申請してみたところ、無事認められて、240ユーロは保険から降りました。

 

・病院、病院、、

生後4週間経って、U3の一ヶ月検診。Duelli先生にお願いしました。

Kinderarztpraxis Heidelberg - Dr. med. Andrea Duelli, Dr. med. Verena Frongia / Startseite

特に何事もなく、ビタミンKを投与して終了。予防接種の予定などについて説明されました。

 

助産婦の方が股関節の検診(Hüftdysplasie)もやったほうがいいよというので、申し出ると、また別の日になるからと言われ、後日再び小児科へ。股関節の骨のところの角度をエコーで測るらしいのですが、新任のFrongia先生があまり慣れてないようで悪戦苦闘。。。十数分ぐらいエコー当てて、ようやく検査終了でした。ふう。

 

先天性聴覚障害のスクリーニング検査。TEOAEという鼓膜に音波をあてて反響音をみる検査ですが、産院ではパスできず、後日また見てもらってくださいとのこと。U3の予約時にDuelli先生の小児科にできますかと聞くと、うちではやってないから大学病院に行けばと言われ、大学病院の小児科に行くと、それはKopfklinikに行けばと言われ、Kopfklinikに行くと、そういう人いっぱいいて見てられないから、まずは地元の耳鼻科医に見てもらって、それでも再検査ならうちに来なさいとのこと。。。。さいですか。

Willkommen in der HNO-Praxis am Neckar, Dres. Horn, Choudhry in Heidelberg. Hals Nasen Ohren Ärzte Heidelberg

HNO Praxis am Neckar Dres. Horn, Choudhry

でようやく引き受けてもらいました。

でっかくて古いパソコンで動かす機械で測定。画面は大昔のWindows3.1並みの解像度。。。子供が起きないように、泣かないように頑張って測定しましたが、結果はまた再検査。。。羊水が残ってたりするかもしれないから、二、三週間後ぐらいにまた来てくださいとのこと。この病院待ち時間長いし、新生児を連れてくるのは結構辛いんですが、、、耳聞こえてないのかなあとだんだん不安になってきます。長男が出すやかましい音にビビって反応してるんだから聞こえてないわけはないのですが、、、妻曰く、耳の穴じゃないところに機械突っ込んでたって、いくらなんでもそれはないような。。。

後日もう一度検査すると、片耳はパスでもう片耳はまた再検査。また一ヶ月後かなあと思いきや、スクリーニング的には難聴かどうかを見分けるのが大事らしく、片耳は少なくとも聞こえてるから、また一年ぐらいしたら来てくださいだそうで。。。さいですか。まあ、割り切ってあまり気にしないようするしかありませんが、親の心情をもう少し慮っていただきたいものです。果たしてどうなるやら。

乳腺炎でしこりが残るところがあると助産婦さんが言うので、再び産婦人科へ。Güntherさんに診てもらいますが、Quarkでも塗ってろって、おいおい。そんなにひどくないから大丈夫よと一安心。

出産6週間後に産婦人科で最後の検診。予後の経過を確認です。抜糸後の傷口も順調に回復していて何より。最後なので赤ちゃん抱いてもらってGüntherさんと一緒に写真撮りました。帝王切開なので、あと1、2年は少なくとも妊娠しないように気をつけてくださいとのこと。必要なら授乳期にでも使えるピルを出しますよ、まあコンドームでもいいけどと、急に言われたので一瞬なんのことだか分かりませんでした。

あとで少し調べてみると、2011年の統計で避妊には、ドイツでは53%のパートナーシップがピルを使用していて、37%がピルのみ使用。同じく37%がコンドームを使用していて、20%がコンドームのみ使用。10%がスパイラル(子宮内避妊器具)で、5%が不妊化だそうです。また、20歳まではピルの費用は公的保険でカバーされるようで、それ以降も月に数千円の負担で済むようです。

Empfängnisverhütung – Wikipedia

JAMSNET-ドイツ

 

一方、日本では2016年の統計でコンドーム 82.0%、性交中絶法(腟外射精)19.5%、オギノ式 7.3%、ピル(経口避妊薬)4.2%、IUD (子宮内避妊具)0.4%、だそうです。2番目と3番目は避妊と言わない気がしますが、、、。

日本の避妊方法から考える | お知らせ | 国際協力NGOジョイセフ(JOICFP)

 

ドイツではコンドームが避妊のファーストチョイスじゃないから、ピルを勧められたわけだったんですね。この数字だとたしかに日本はピル後進国と言われても仕方がない気がしますね。。。医薬品はなんといっても処方すればするほど、副作用のケースが集まってくるので安全性は高まっていきますからね。。。日本のお国柄というかなんというか。。。いかんともコメントしづらいですが。

研究雑話(9)

・去る人(1)

 メキシコ人ポスドクが民間企業に転職。5年のプロジェクトで雇われ、3年間がちょうど過ぎたぐらいの時でした。当初予定していた実験が次々にぽしゃり、なんとか活路を見出して研究を続けていましたが、日に日に、ボスがあんまり自分の将来を真剣に考えてくれていないと不満を漏らしていました。一方で、家族たちはハイデルベルクを気に入り、「次、どこかでポスドクやっても、私たちはついていかないからね」なんて言われる始末。そんなところに、LinkedInというSNSを通じて、転職エージェントからお誘いがやってきたらしい。ハイデルベルクにオフィスがあるバイオ系企業です。

あれよあれよと役員面接まで行き、今後の仕事に関連する業界の展望をプレゼンすることになったらしい。へー。見事に一発で合格を決め、入社することになりました。

「もう論文出すことはなくなると思うけど、寂しくないですか?」と聞かれたら、

「ありません。喜んでサインします!」

と答えてやるぜと面接前に言ってましたが、予想通りそんな展開になりました。本当に採用するかどうかの決定は2週間ぐらい待たされたようですが。特に転職活動はしてないのに、オファーもらえちゃうんだ。。。すごいなあ。僕もLinkedInのページちゃんと更新しようかなあ。後で聞けば、夏の僕の論文にまつわるボスとのいざこざも、ボスを見限る一因になったんだとか。

折しも、ちょうどボスから彼に、キャリアについて一回ミーティングしてみようかと誘っていたころでした。その場で彼はラボをやめて転職することになったことを伝え、ボスは寝耳に水で超ショック。数日後に僕とミーティングしているときにもその話題になり、いろいろ話しましたが、なんというかメキシコ人ポスドクとの気持ちのすれ違いがすごいのなんの。。。彼がボスに不満を持っているだなんて想像だにしなかった感じで、説明されてもいまいちなんのことを言ってるんだかわかってない感じでした。まあ、上司と部下なんてそんなものですかね。

メキシコ人曰く、手取りの給与はそんなに変わらないらしいが、もちろん終身雇用。会社からは車も支給され、自分で車種を選んで自由に使っていいうえに、ガソリン代も支給。これがドイツの普通か。。。家賃や子供たちの幼稚園代なども会社が負担するんだとか。さらに、有給休暇には有給休暇手当てがついて、取得した分だけ1日あたり20ユーロぐらいお小遣いが支給されるらしい。。。すごいなあ。。。というか、ドイツで人雇うの大変だなあ。。。

分野転向してきた僕を、足取り手取り教えてくれた彼。寂しい限りですが、同じハイデルベルクにまだいるんだし、これからも頑張ってほしいですね。近頃連絡を取ってみると、やれロンドンに研修、やれカリフォルニアに研修とずいぶんワールドワイドに活躍しているようです。

 

・去る人(2)

昨年3月にやってきた韓国人ポスドク。こちらは病気でやめざるを得なかったフランス人ポスドクの跡継ぎの予定でした。この1年で前ラボでの仕事が論文として公開され、結構な業績の持ち主になっていました。昨年末に母国韓国でテニュアトラックのPIポジションが空いたと紹介され、応募してみたところ、面接に呼ばれ、年末に面接しに帰ったら見事採用。今年から韓国でラボを持つことになりました。韓国も中国も、ポジションに応募する時の業績は過去3年分と限られることが多く、旬の時に売っておかないと、後々困るそうで。面接に呼ばれたころに彼がボスにも応募してる旨を伝えたところ、これもボスにとってはびっくり話。応募したフェローシップの結果はまだ届いてないし、一年も経ってないのにポジションを探し始めるとは。。。という感じでした。もちろんいつかは来るときではありますが。

そうはいっても栄転だし、めでたい事です。というか、すごいことです。韓国のポジションは身体検査は厳しいらしく、健康診断をしに韓国に前もって帰らないといけなかったり、本人だけでなく、親族の犯罪歴や資産状況も提出させられるらしいです。プライバシー侵害というか、それをパスしないと契約しないっていったい。。。

与えられた仕事はあんまりやる気がなかった彼ですが、一方では3つぐらい新しいテーマになりそうなデータを取っていきました。アイデアがよくもまあそんなに湧くなあって、人ごとのように感心してる場合じゃないですが。自分の手だけでは確かにそろそろ限界というところで、これからPIとなって、学生たちを指導しながらそのアイデアをどんどん形にしていくのでしょう。

 

・去る人(3)

メキシコ人ポスドクと同じプロジェクトで雇われていた中国人ポスドク。こちらも中国の時の仕事が論文として公開され、まあまあな業績の持ち主になっていました。故郷の近くの大学でポジションが空いたらしく、すかさず応募。面接に呼ばれ、こちらも採用。来年から中国でラボを持つことになりました。めでたいこと続きで、妊娠も発覚。ところがつわりがひどく、ラボに行くのはやめるようにとの医師の診断。。。ポジションも決まったことだし、体を大事にして、子(胎児)育てに専念してくださいまし。

 

僕も入れてポスドク4人で賑わっていたラボでしたが、4か月ぐらいの間に僕は学振を取って延長し、残り3人は次のポジションを見つけてやめることが決まりました。民間転職も珍しくなく、同じフロアのポスドクも去年何人かそうしてやめていきました。アカデミックに残る方も、留学先で仕事まとめて帰るというより、旬な業績があるときにすかさずポジションを応募する感じなのか。。。今のボスは気に食わないけど、まだまだやることがあると思って同じラボに居残ることを選択しましたが、果たして正しい選択だったかどうか。。。しかし、みんなポジション探し始めるの早いなあ。

ボスの方も立て続けにポスドクに辞められて、さあ大変。プロジェクトは運営しないといけないし、学生や実習の面倒を誰かは見ないといけないし。。。さっそく学生とポスドクの募集を始めてました。僕が日本に学会に行くついでに、あちこちでセミナーしたいというと、「職を探してるのか?」と疑心暗鬼に聞いてきたところを見ると、結構弱ってるなあ。なんでもポスドクポジションに応募があって、そこのPIにどんな奴か聞いてみたところ、「職探してるなんて聞いてないよ!」と返ってきたんだとか。ボスに隠れて職探しが蔓延しているようです。

 

・去る人(その他)

最古参だったオーストリア人学生が、博士審査をパスし、そろそろアメリカへ留学。新天地でもがんばってー。こっちの文化じゃ、送別会も自分でアレンジするのか。。。ヨーロッパの学生にしては珍しく、土日もラボに来ることを厭わないがんばりやさん。ごちゃごちゃ言わずにきちんとデータを集めて、毎回統計処理もばっちりの姿は、ちょっと尊敬です。最近彼氏ができたって、ボス邸のパーティに連れてきてたのに、もう遠距離恋愛かぁ。。。って、僕もうそういう恋バナを聞いてもウキウキしなくなった年頃になったんだなあ。英語ペラペラでもアメリカに行くのは一大決心がいることのようです。

ラボの技官さんは通勤中に自転車事故。複雑骨折になって、手術でボルト入れたりしてと結構大変なことに。退院後はリハビリに通う毎日です。快方を祈るばかりですが、ラボの中のこまごまとしたことをまとめて引き受けてくれていただけに、いろいろ対応を迫られることに。机の上に請求書たまってるけど、大丈夫なんだろうか。。。まあ、でも触らぬ書類にたたりなし。

 

・来る人

マンパワーが全然足りてませんが、イタリアより博士課程の学生が一名参入。ボスが面倒見ることに興味ある?と僕に聞くので、僕のテーマに近いなら興味ありますと返答。いい感じで割り振りができれば良いのですが、果たしてどうなるやら。他にもフランスからインド人ポスドクがやってくるのと、ハイデルベルクの修士学生が、終了後に博士課程で入ってきたいらしい。結構すぐに見つかるもんだなあ。でも使えるやつを見つけるのは難しいはずだから、どんなことになるやら。うちのボスも人見る目ないしなあ。。。

去る人がみんな去ってしまうと、いよいよ最古参ポスドク就任へ、、、ボス、技官さん、産休取ってた学生に次いで4番目の古株に。やっぱり辞めどきを逸した感が否めないですが、業績を積んで、早く抜けられるよう、頑張るしかありません。

出生にまつわる諸手続き

・母子手帳

Mutterpassは妊娠中に産婦人科から、Kinderuntersuchungsheftは出産した産院からもらいます。親権が変わったり、離婚したり、再婚したりいろいろしたときは、母と子が別々に分かれている方が便利そうですね。日本語の母子手帳はミュンヘン総領事館に置いてありました。母子健康手帳から親子健康手帳手帳に名前が変わったんですか(?)。まあ、そういう時代の流れですよね。

母子健康手帳(親子健康手帳)の配布のご案内 | 外務省

 

・出生届( Erstbeurkundung / Erstregistrierung)

予定日の数日前に、産院で説明を受けているときに用紙を受け取りました。結婚しているときは簡単ですが、籍を入れていなくても、事前にパートナー関係であることを役所に証明してもらうこともできるようで、研究室のドイツ人学生はそうしていました。これで父親の認定ができるようになるそうです。

出産の数時間後には名前を決めて提出しました。ルール上は1週間以内の提出です。あとで病院の受付に、パスポート、婚姻証明書、外国人登録証を持っていき、コピーを提出しました。一応原本確認をするようです。入院中に提出するならば、役所への提出は病院が代わりにやってくれるようです。出生証明書(Geburtsurkunde)は無料で3通(子供手当など使途が限定されているもの)に加え、ドイツ語版1通、国際版3通(1通あたり12ユーロ)を注文。受け取りは市役所の窓口か、郵送かを選べ、郵送も通常か配達記録的な何か(有料)が選べました。

日本出張の機会があったので、ついでに役所で戸籍謄本を取り寄せて、管轄地域外だけど、フランクフルト総領事館に提出して婚姻証明書(Heiratsurkunde)を発行していただきました。受け取りはFlixbusでFrankfurtまで日帰り。行きが4ユーロで帰りが6ユーロと安いものですね。。。中央駅の近くで見つけた中華麺のお店が絶品でした。麺をその場で作っていて、煮豚もとろっとろ。

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Genuss Magazin Frankfurt Lokal-Nachrichten - Nudelsuppen und Dumplings im Gallus - Aunty Zhongs Noodle Bar & More

Aunty Zhong's Noodle Bar & More - ホーム | Facebook

Aunty Zhongs Noodle Bar & More, Gallus, Düsseldorfer Str. 15-17

出生証明書は出生届を提出して10日ほどで自宅に届きました。提出した婚姻証明書の原本も一緒に同封されて返ってきました。なお、婚姻証明書は必須ではなく、滞在許可申請時に使用した、戸籍謄本+ドイツ認証翻訳でもOKで、受理後は書類も返ってくるようです。

 

・フンボルト財団へ

子供一人当たり月50ユーロの保険補助がありますので、奨学金をいただいているフンボルト財団へもオンラインのフォームを通じて知らせて、ドイツ語版の出生証明書を郵送しました。こちらはすぐに返信があり、受理した旨と、提出した出生証明書も郵送して返されました。大事な書類だから返ってくるんですね。。。そんなことならいっぱい証明書を注文しなくてもよかったのか。。。

 

・子供手当(Kindergeld)

子供が18歳になるまで、一人194ユーロ/月です(第二子までの金額)。2019年7月からは204ユーロにあげてくださるそうです。

Zehn Euro mehr Kindergeld ab Juli 2019 - dhz.net

オンラインで記入して申請もできるようですが、今のところヨーロッパなど限られた国籍の人だけの様です。書類PDFをダウンロードして記入し、Baden Württemberg州のFamilienkasse Baden-Württemberg West 76088 Karlsruheまで郵送しました。英語版の書類もあります。

https://www.arbeitsagentur.de/familie-und-kinder/downloads-kindergeld-kinderzuschlag

難しいところはありませんが、長男の分の子供手当番号を書くところがあるので探し出しました。子供手当用の出生証明書と、僕(親)の分の滞在許可証(Aufenthaltstitel)のコピーも同封しました。後日、手続きが完了した旨が郵送で知らされました。早い!

 

・育児手当(Elterngeld)

育児休業を取っている場合、7割程度の金額を育児手当によって保障するシステム…のはず。。そして、収入がない専業主婦も月300ユーロを受け取ることができます。フンボルト財団とは雇用関係にないので、僕(夫)が育児休暇を取る場合は、フンボルト財団へフェローシップの中断を申請することになりますが、いろいろややこしそう、というか推奨されていません。フンボルト財団は妻側(フェローシップを取っていない側)で300ユーロのBasisの方を受け取ることを推奨しています。フェローシップを収入額とみなして、育児手当が降りるかどうかも怪しいし、降りても3割減なので生活がきつそうです。

https://www.humboldt-foundation.de/pls/web/docs/F2062431567/information_family_allowance_marital_partner.pdf.pdf

ということで、妻の分の育児手当×12か月のみを申請することにしました。育児手当は両親合計で14か月まで申請出来て、片方の親が申請できるのは最大12か月までになっています。父親が育児休暇をとる促進策になっていて、通常の家庭では、母親が12か月取って、最初の2か月だけ父親もとることが多いと聞きました。いつ、どちらの親が取るかは自由に選択できるようになっており、また、300ユーロの代わりに150ユーロのElterngeldにすれば、もらえる期間は2倍になるようです。

 HeidelbergがあるBaden Württemberg州では、申請はL-bankのホームページから。

https://www.l-bank.de/lbank/inhalt/nav/foerderungen-und-finanzierungen/alle-foerderangebote/fa-familienfoerderung/elterngeld-sie-moechten-einen-antrag-auf-elterngeld-stellen1.xml?ceid=100383

ドイツ語しかありませんが、一歩ずつ進めていくと、最後に書類のPDFが出てくるので、印刷して郵送です。添付書類として、親の滞在許可証のコピーと出生証明書(Eltern Geld用)も同封です。一、二週間して受付完了の旨を知らせる手紙が届き、さっそくお金が振り込まれました。

 

・日本での出生届

 海外で生まれた子供は、生後三か月以内に本籍地などに届けることになっています。通常は大使館を通じて行います。

出生届 : 在ミュンヘン日本国総領事館

が、これもちょうど学振のおかげで日本出張があったので、直接日本の役所に届け出ました。

必要なものは、ドイツで発行された出生証明書の原本(国際版でもドイツ語版でも)、その訳文(コピーを取って、→で訳文を書き込みました)、本人確認の書類(パスポートなど)で、印鑑(必須ではない)でした。

地元の役所の方もまさか外国から飛んできて出生届を出すと思わないものだから、びっくりしてあたふたしてました。訳文を持っていなかったので、その場で作成。国際版は英語も書いてあるから行けるかと思ったけど、そんなに甘くないわなあ。。。出生届は普通病院でもらうものなので、これも書類を出してもらい、その場で記入。本当はドイツの母子手帳のコピーがあればもっと話がスムーズに進んだようで、病院の住所(出生地)などを聞かれて、その場で調べたりしてました。

 ほかにもいろいろあり、一時間ぐらいかかってしまいました。終わったときはお互いぐったり。

「それで、戸籍謄本の発行をお願いしたいのですが。。。」

「いや、戸籍が変更されるまでは一週間ほどお時間頂戴しておりまして。。。」

えーー。その日じゃもらえないのか。。。知らなかった。戸籍謄本をその場でもらって帰って、帰りの飛行機でフランクフルトに行くついでにパスポート申請しようと思っていたのに。。。無理なものは無理なので、戸籍の手続きを完了したら、郵送で戸籍謄本を送ってもらうようにもうひと手続きしました。 本人(戸籍謄本の申請者)の住所にしか送付できないとのことで、ドイツの住所が載った身分証明書(滞在許可証とか免許証とか)のコピーを提出しました。EMSでもよかったですが、急がないしと思い、通常郵便を選択。今思えばここでEMSを選んでりゃ。。。

 

・パスポート申請

帰国後、3週間してやっと戸籍謄本が到着。戸籍の手続きに1週間、郵便に2週間でした。パスポートの郵送申請の書類は、下記リンクに沿って準備していたので、すぐさま戸籍謄本を入れて発送。時はすでにクリスマスイブ。

郵送による旅券申請 : 在ミュンヘン日本国総領事館

パスポートの受け取りは本人(新生児)限定。総領事館まで連れて行くのは大変なので、ぜひとも1月16日の領事出張サービス(ハイデルベルク)まで間に合わせたかったのですが、間に合わせるためには申請が1月3日必着でした。間に合ってよかったよかった。

 

と、思っていましたが、1月3日にミュンヘン総領事館に電話してみると、12月27日か28日には到着しているはずの書類がまだ着いてない。。。聞くところによると郵便で遅配があったようで、ほかにもいろいろ着くべきものが着いてないらしい。明日電話するようにとのこと。翌日、4日(金)にもう一度電話しますが、まだ着いてないらしく、来週月曜日にもう一度連絡くださいとのこと。。。これは困った。7日(月)になって、朝10時半ぐらいに電話しますが、午前中の郵便が届いたけど、その中には含まれていないとのこと。

ただ遅れているのか、それとも紛失したのかわかりませんが、仕方がないので、幼稚園に行っていた長男を連れて、ミュンヘンまで出かけて申請しに出かけることにしました。フランクフルト総領事館の管轄(出張領事サービスに来てくれる)ならもっと楽なのになあ。。。電話で確認したところ、7日中に申請が完了出来たら、まだ16日の領事出張サービスには間に合うとのこと。幸い、戸籍謄本は2部申請していたので、もう一部は手元にあります。

ミュンヘンへは普通にチケット買うと高いですが、Europcarのレンタカーで貯めたドイツ鉄道のbahn.bonusポイントを消化する時がついにやってきました。Freifahrt 1. Klasse DIGITALES TICKETをネットで注文。2等だと空いてないけど、1等だと空いてるのね、へー。往復で3000ポイントが消えましたが、まあ、ポイントだし。1等車はガラガラでまるで個室のように使えたので、子連れとしてはラッキー。チョコももらえて息子も大喜び。

ミュンヘンへ3時間かけてたどり着くと、一面…といかないまでもまあまあの銀世界。ラインネッカー地域から離れたら、すぐに車窓からは雪景色でした。総領事館に着いて申請書を提出すると、なんと昨年のクリスマスに郵送した申請書類がちょうど今郵送で届いたんだって。。。骨折り損のくたびれ儲けとはまさにこのことで、と思っていたら、

「あっ、でもよかったです。来てもらって。この申請用紙、折り曲げ厳禁なんですよ!」

と総領事館のスタッフ。確かによく見ると申請用紙にでかでかと折り曲げ厳禁って書いてありました。そういえば、署名のところやQRコードのところを避けて頑張って折り曲げて郵送したんだった。。。申請用紙だけ新しく持ってきたものを提出して、やっとこさ無事申請受理。帰りの電車まで息子と二人でビール飲んだりソーセージ食べたりしてブラブラして(ポイントで無料でとれるICEはそんなに多くない。)、ハイデルベルクまでたどり帰ってきたのは22時ころ。長旅に付き合ってくれてありがとう。

後日、新生児を連れて、無事ハイデルベルクでパスポートを受け取れました。お値段48ユーロ。第二子の分の在留届もオンラインで提出して、日本側はこれで手続き完了。

 

・滞在許可(Aufenthaltserlaubnis)

パスポートを手に、そのままハイデルベルク市の外国人局へ。申請書と、出生証明書、パスポート、写真、奨学金の証明、加入している保険のシートで受理されました。大人と違って、子供の分は手続きが早いようで、2週間後に直接カード取りに来てとのこと。これでドイツ側も手続き完了です。

追記)2週間後に行くと、もう2週間待てと言われて、ようやく受け取れました。お値段50ユーロ。カードじゃなくて、パスポートに貼るタイプだともっと安いと、ラボの学生が言っていたが、、、

あっ、そういえば、Rentenversicherung bei Kindererziehungという手紙が来て、育児中の妻の年金を国が肩代わりしてくれるという内容で、今年金番号ありませんので登録してくださいと返事したけど、あれはどうなったんだろう。今度、問い合わせてみよう。

研究雑話(8)

・面接

ここで研究が続けられるようにと、海外学振と学振PDに申請してました(日本学術振興会 特別研究員)過去記事。8月にまず海外学振の結果が開示されて、面接候補に。3年前に申請した時(面接採用内定後に辞退)よりは書類の出来が良いと思っていたので、正直がっかりした気持ちでしたが、後になってだんだん落とされなくて良かったあとホッとした気持ちになりました。審査員との相性は水物で、この人が落ちるの?みたいなのは結構聞きますからねえ。海外学振の趣旨から考えても、もう海外に行ってしまってる組は審査が厳し目なのかもしれません。まあ、海外にこれから行く人の応援は大事で、そうあるべきだとは思いますが。ということで、プレゼン4分と質疑応答6分のために一時帰国です。他にも予定を足して、4泊6日の日程です。妊婦をあまり長い間一人にしとくわけにはいきません。旅費が心配になるところですが、面接関係の書類を出したら普通に降りました。フンボルト財団からの研究費でまかないました。日本にいた時は、面接だけだと研究遂行上必要とは認められない(かも?)ので自腹切ってましたが、、、セミナーの予定を入れるとか色々細工がなくて楽です。

ボス曰く、模擬面接をちゃんとやっておくようにとのこと。ドイツでは、グラント申請のヒアリングに備えて、PI同士でも結構練習するようです。そうは言っても日本語だしなあとぶつくさ言いながら、ラボ内で英語に翻訳して一回やりました。必要ならほかのPI集めるよとも言われましたが、それは流石に恐れ多い。。。その他、ハイデルベルクにいる生物系研究員の方の前で一回、帰国してからは元ボスのラボで1回と計3回練習やりました。最後の最後までダメ出しが続き、コテンパンでしたが、下を向いている暇もなく、スライドの修正をひたすら黙々とです。データを順に見せて、一歩ずつ話を進めていきたいのですが、4分でそんなことをやってる場合ではないと結局ばっさり。早口で詰め込んでも、広範に渡る審査員に伝わらないので、限られた時間の中で、喋る中身の取捨選択が難しかったですね。時間をとってくださった皆さんには頭が下がる思いです。ドイツで買ったパソコンを持って行ったのですが、日本で充電するアダプターを忘れたので慌てて家電量販店で購入です。。。

スーツに着替えて学振にいざ出陣。僕の前の人も、後の人も海外から来ていて、まあ、みなさんご苦労様な感じです。最後のスライドの途中で時間を知らせるベルが来て、若干時間オーバー。審査員が真剣に聞いてくれていたのでイントロで二言ぐらい増やしたのが原因。。。とほほ。今回は特に英語で質問されることもなく、時間いっぱいというか、多少超えて多くの質問をいただきました。大体は上手く答えたつもりですが、後になって、もっとうまい答えあったなあなんて思い出し反省も少し。。。

その後もいろいろ予定をこなし、日本食材をたっぷり買い込んでドイツに帰りました。色々あって、行きも帰りも関空だったのですが、ちょうど浸水でターミナル1が閉鎖されていた頃で、行きの飛行機が飛ぶと決まったのが出発数日前。帰りの飛行機も次の台風接近で危うく欠航になるところでしたが、出発時間を切り上げて離陸して間一髪難を逃れました。運が悪いというか、良いというか。。。

2週間ぐらいして結果発表。面接採用となりました。良かった良かった。2年間の延命に成功です。

 

・面接2

それから2日後。喜びも束の間のうちに学振PDの方の結果が開示されました。PDの3年間という期間は魅力的で、最大2年間海外で過ごしたあと、日本に帰ってからもポジションが1年間あるというのは良いのですが、給与額自体は低いので海外学振の滑り止めのつもりでした。研究計画も、海外学振と同じような申請書類で出しており、海外で2年ぐらい実験したデータを、日本に帰ってから解析するような感じです。海外学振通ったので、また面接になったら辞退しようかなと思っていたところ、なんとSPDの面接候補に。。。Sが一文字つくと、給与額年額100万円上がって、さらに研究費も最大年額150万円プラスされるので、これは海外学振より条件良いと思いました。各分野で年2人しか選ばれないので、箔もつきます。

しかしながら、面接の予定は12月上旬。第二子に出産予定日から3週間も経ってない。。。流石に妻+子2人を残して行くわけにはいきません。相談の末、せっかくのチャンスだから挑戦してみようということになり、妻のご実家から御両親にその間来ていただくことになりました。有り難い限りです。御両親の分の航空券と宿と送迎用のレンタカーはなんとか手配できました。面接は8分プレゼン、12分質疑ですが、なんだか大騒動になってきました。Neuenheim内のホテルは多くありませんで、

Unser Hotel – Cafe Frisch  は埋まってましたが、

Hotel & Appartements Berger in Heidelberg が取れました。アットホームな感じでよかったそうです。

結果はPDの受け入れ先機関にも通知されて、そこのURA(University Research Administrator)の方から模擬面接はどうですかとのお誘い。大学の運営交付金が削られるようになってから、どの大学も競争的資金の獲得に躍起になっており、申請書類へのアドバイスなどで研究者をサポートするところが増えました。政府関係の研究費は直接経費とはまた別途で、間接経費も支払われ、そのまま大学の予算に組み込まれます。本番前日ならいけますが、それ以外は日程上無理ですと無茶なお願いをしたのですが、快く引き受けてくださって、前日に模擬面接をセットしてくださいました。

個人的にはURAのシステムのイメージがあんまり良くなくって、今まで自分の書類がよくなったという実感がなかったし、結局全国の大学でこれだけの人とお金と時間を使って、みんなで申請書類の見栄えをよくするぐらいだったらその分研究費に回してくれよと思ってました。中学受験の時の塾の講師がよく漏らしてたのですが、「昔は塾がなくって、頭が賢いやつはちょこっと勉強したら難関校に入ってた。今は親がみんな塾に入れるから、頭が賢いやつも塾に来ないと難関校に合格できないようになってしまった」と。塾が普及して競争がある程度のところまで行き着くと、結局は頭が賢いやつが難関校に行くという結果は変わらないし、所詮は入試対策だから別に日本の人材が昔より開発されたというわけでもないです。そういう意味では塾はあってもなくても良いのですが、競争のために保護者が資金を投入して、塾産業を潤してるわけです。コンサルティング業界や、ファンドマネジャー業界も似たようなものですかね。社会全体で見ると、価値を出すというより、過当競争のためのコストという風に感じています。まあ、僕も塾でバイトしてたクチですから偉そうなこと言える立場ではありませんが。。。

話が逸れました。模擬面接の日程も決まって、さあフライトのチケットをと思ったのですが、僕の分の航空券が高すぎて買えません。。。前回の出張費が立替払いでまだ戻ってない上に、1泊4日の予定ですぐに帰ってくるとなると格安運賃が設定されていなくて、エコノミーでも軽く2000ユーロを超えます。これでは家計が綱渡りの危機。出産費用やら、助産師さんの費用もどうなるかわからんのに。。。

 何とかなりませんかねえと、秘書さんに泣きつくと、旅行代理店から注文したらいいんじゃない?とのこと。その手があるならもっと早く教えてほしかった…

 Reisebüro Reeg GmbHというところとハイデルベルク大学は提携しているらしく、メールで何回かやり取りして航空券を発注。請求書が直に大学に行くので僕が立て替えなくても良いようです。もちろん手数料は取られますが、その分の明細は見てないので果たしていくらだったやら。。。結構優秀なスタッフで、すぐさま、もっと安価なほかの旅程候補(エールフランスの乗継便)を挙げてくれましたが、面接前で焦りたくないので、今回は高いけどリスクの少ない直行便でお願いしますと指示しました。同じ便でも、Lufthansaとして取るよりも、ANAとして取った方が安上がりだったようで、それも自発的に見つけて変更してくださいました。これからの出張は全部ここでお願いしよう。。。しかし、ここLufthansaの代理店なんだけどよかったのかな。。。

https://www.uni-heidelberg.de/md/zuv/personal/formulare/reiseburo_reeg.pdf

 

再び、話が逸れました。模擬面接会場に行くと、なんと関連分野から教授が2人が模擬審査員として登場!ひぇ~。まさか教授が二人お出ましになるとは。。。前回海外学振で通ったプレゼンをベースに、8分に膨らませましたが、その後1時間以上にわたって厳しい質問と指摘の前に見事に討ち死に。。。もっと広く、もっと深く自分の研究について考えさせられる良い機会となりました。本当は修正して、資料を印刷させてもらって東京に向かいたかったですが、少ない時間で対応できそうもなく断念。時差ぼけの頭を休養しながら東京に向かい、あきらめて本番当日の早朝に起きて修正することに。

 翌早朝。一晩寝るといろいろ整理されるようで、模擬面接で言われたことがだいぶ消化されて、すらすらとスライド修正が完了。これは確かに前のバージョンより良くなってると、自分でもうなずける感じに。URAが役に立ったなあと思いなおしました。スライド資料15部をカラー印刷しないといけないので、コンビニでも行こうかと思っていたのですが、さすが東京。キンコーズという印刷屋さんが都内あちこちに店舗を持っていました。1部ごとにまとめて印刷する設定を忘れて、店舗先で製本する羽目になりましたが、それでも1時間もしないうちに印刷を終えることができました。印刷代もちゃんと経費で落ちました。スーツに着替えて準備万端(?)でもう一度学振に出陣。

コピー・プリント・ポスター・名刺・製本 - オンデマンド印刷のキンコーズ・ジャパン

学振に入ると、SPDの審査を各分野で同時にやっていて、ほかの分野でも海外からこのために駆け付けた人がいて、スーツケース引っ張ってました。ご苦労様です。面接会場に入ると、海外学振の時と同じ面々がずらり…。審査員同じだったか。模擬面接が生きて、そこまで緊張することもなく、和やかな雰囲気で面接は終了。審査員方も研究内容を理解しようと努めてくださってる感じで、質問だけでなく、ためになるアドバイスもいくつかいただきました。もっとあらを探そう的な感じになるかと思っていたので、少々意外。こちらからとしても言いたいことは伝わったと実感できたので、悔いはありません。まあ、もうちょっと早くから準備してたらドタバタしなくて済んだのはその通りですが、、、

とんぼ返りでドイツへ帰国。子供たちも元気で特に何もなくよかったよかった。学振のサイトには、結果は1月上旬までに発表と書いてありますが、例年はその前にクリスマス後に結果発表なので、年末は毎朝ドキドキしながら起きてメールチェック。しかし、一向に結果が発表される気配はありません。こうなったら頼りになるのは2ch(現5ch)で、VPNを介して学振総合スレをのぞいてみます(現在GDPR法規制によりドイツからは直接アクセス禁止)。学振の予算が削られたから、振り分け方に困ってるんじゃないのとか、電話してみたら来年上旬になるって担当者が言ってたとか、いろいろあってふむふむ。気休めですが。結局年が明けてからの1月4日に「学振作業中」にステータスが変わり、10日になってやっと結果が出ました。なんだかんだ言いながら、この間落ち着かなかったので、まだまだ若いというか、なんというか。。。結果が出た次の日からぐっすり眠れるようになりました。

結果は残念ながらSPD不採用。。。悔いの残る面接ではなかったので、仕方がないなという感じでした。とんぼ返りしたり、妻のご両親を呼び寄せたりと、そういう意味では手間が水泡に帰した感じですが、全くの泡というわけでもなかったようで。研究面では模擬審査員や審査員の方に研究を知ってもらうことができましたし、準備や面接を通じて研究計画が一段と深くなり、やることがよりはっきりしました。妻のご両親も、長男のドイツでの幼稚園姿や、生まれたばかりの幼子を見ることができて、さらにドイツのクリスマスマーケットも楽しんだようで、良い思い出になったのではないでしょうか。

PDをとるか、海外学振をとるかは判断が難しいところでしたが、現ボスともいろいろ相談して、フンボルト後は通常のポスドクとしてしばらく雇ってもらって、その後、海外学振に切り替えるということで、あと3年間はハイデルベルクで研究できるようになりました。PDは辞退することになるので、受け入れ先の先生方や事務の方には申し訳ないことをしたなと感じていますが(あれこれ巻き込んだ挙句に、びた一文落ちてこない)、将来の研究成果を楽しみにしていただけたらなと思います。

雇用問題はひと段落したし、出産もひと段落したし、あとはまじめに研究するだけです。SPDを落とした審査員にぎゃふんと言わせなくては。

研究雑話(7)

・論文

昨年の春頃は実験がいろいろうまくいって、競争相手の噂もちらほら聞こえてきたので、いったんまとめて論文にすることに。しかし何から何までボスと意見が合わない。。。

自分でいうのもなんですが、なかなか質の高いデータだし、今後の研究の基礎にもなるからもっと上の雑誌を狙いたいと主張しましたが、ボスはあまり価値が分かっておらず、中堅誌を主張。まあ、堅めの中堅誌は好きな雑誌だし、これは妥協。

フンボルトの奨学金+研究費を取ってきたんだし、僕のアイデアだったし、研究も主導してやってきた自負はあるので、Co-corresponding Authorを要求。ボスはそれをやり始めたら他のポスドクにもそうしなきゃいけなくなるからと難色。それは理由としてなってない、論文への貢献度を見てそれぞれで判断すべきことだから、もう一度だけ考え直してと伝えると、今度は向こうが妥協してくれました。

中堅誌に出すなら出すで、しっかり記述しよう草稿を送りましたが、データの数は多く無いんだし、レポート形式でいいんじゃない?とボスの意見。早く言えよ。。。図の数が減って、結果と議論が混ざって字数制限が厳しくなってしまいます。短く書いた方が確かにスッキリすることもあるからなあと従って修正したのですが、ボスはひたすら細かい結果の記述を削ってわかりやすくする方向へさらにまっしぐら。そのイントロの煽りとか、議論での逃げ道とか強調とかを書いて字数オーバーになって、結果の記述減らすのって本末転倒というか、最初からレポート形式にするって言わなきゃいいんじゃん。。。しかもデータあんまりわかってないでやるから、科学的に間違いがないように目を配って後から修正するこっちも大変。。。最後の最後になっても、「そんな理屈もわからんと、わかりやすいからってこんなこと書いてたのか!」状態。日本では意見の相違はあっても、お互いが言おうとすることは伝わっていたのですが、、、育ってきた科学教育の環境の違いですなあ。

まあ、良くも悪くも一般人向けにわかりやすい原稿には確かになりましたが、投稿するの専門誌の中堅誌でっせ。。。うちのボスは、私たち下っ端からすると、どうでも良い修正をひたすら繰り返すことで悪評高く(図の構成を入れ替えてみては戻したり、自分で書いたパラグラフを自分で何回も手入れしてみたり)、これまでラボで出た論文も18版とか19版とかまで行ったそうです。今回は6版ぐらいで投稿までこぎつけましたが奇跡的だと古株からの評判。

投稿ボタンをクリックしようかというところで、急に競争相手にも原稿送って仁義切ろうぜと言い出した。。。狭い業界の中の顔見知りの人だし、ボスのバツが悪いのはわからんでもないが、こっちは出し抜くつもりで睡眠時間削って急いできたのに、ハシゴを外された気分。案の定、相手はカンカンになって、投稿延期。まあ、向こうも生活がかかってますからねえ。その後、いろいろあって、競争相手が先に始めていたのを尊重して、先に向こうが投稿して、出版への道筋が見えてから、こちらが投稿する取り決めになりました。それを聞いて、今度は僕がカンカン。そりゃPIとして間違っとるし、ポスドクをなんだと思ってるんですか!と英語で人生初めて喧嘩ふっかけました。夫婦喧嘩は犬も食わないのと同じように、結局はは元の鞘に戻るしかない喧嘩ですが、お互いの考え方の違いがより鮮明になりました。自由にやらせてくれる度量はあるので、そこはありがたい限りでラボを辞めるまではいきませんでしたが、この一件以降は微妙というか適当な距離感のままです。

数ヶ月待ってこちらもやっと投稿。追加実験が必要な査読コメントもなく、皆さん好意的。それをみてボスがもっと上を狙えばよかったかなあと漏らす。。。最初からそうだって言ってるんじゃないか、、、すぐさま修正稿を送ってあっさり受理となりました。留学3年目で論文が出たのは良かったですが、日本の元ボス曰く、この中堅誌じゃ日本に帰って来れんわなあだそうで。もう一、二報出せるよう頑張ります。

まあ、悪口みたいになってしまいましたが、ボスもボスのやり方で教授になったわけで、そこを選んだのも僕なわけで。。。論文を出す過程を通じてやっと、やりたいサイエンスも、サイエンスのやり方も、人によってこれだけ違うんだなということがよくわかりました。そういう意味では大変勉強になりました。結局、やりたいようにやるためには独立するしかないんですねえ。そんなにたやすくもないですが。

  

日本だとプレスリリース準備したり、記者会見したりもしてたのですが、ハイデルベルク大学ではそういうのはなさそうです。大学全体の広報しかなく、プレスリリースは年間で150回程度。受賞とか、研究費獲得のプレスリリースも多いので、成果の発表は半分もない感じでしょうか。一応ボス伝いにお願いはしてみたのですが、レスポンスは鈍いよう。

https://www.uni-heidelberg.de/presse/indexnews.html

実際、地元の新聞を見ても、ドイツの大学の研究でこういうことがわかった!的な科学の記事はほとんど見当たりません。日本は大学の評価に新聞記事がいくつ載った的な数字も使われますから、やっきになってたので、そういう熱がないというのもありますが、そもそも一般国民の科学研究に対する興味も少なさそうです。

お世話になった研究室の人や、ほかのラボの人にもメールで連絡し、スパークリングワインでプチセレモニー。自分から連絡するのがドイツ流です。Rotkäppchen(赤ずきんちゃん)というブランドのスパークリングワイン(Sekt)が大衆的なもので、ラボのお祝いでもよくつかわれて、スーパーでよくセールになっています。フランス産の本場シャンパンはドイツでも、お高い感じです。

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電化製品雑話

・イヤホンケーブル

昔、親が忘年会の景品であててきたBOSEのOE2のヘッドフォンのケーブルが断線の模様。片耳の接続がよくありません。

https://www.bose.co.jp/ja_jp/support/products/over_ear_headphones_support/oe2_headphones.html

ちょうど日本に出張してたときに気付いたので、BOSEの専門店に持ち込んでみますが、型落ちで部品はもう扱っていないとのこと。。。今どきBluetoothですからねえ。。。ヨドバシカメラか何かでオーディオケーブルを代替えにどうぞと勧められます。

このケーブルは片側3.5mmステレオミニプラグで、もう片側が2.5mmになっています。ヨドバシカメラの店員にも聞いてみますが、そういうのは扱ってないと連れない返事。変換アダプタもないのかぁ。。。それでもあきらめずに目を皿にして探していると、ケーブル類の一角に見つかりました。

富士パーツ商会 スーパースリムプラグ・オーディオ変換ケーブル/1.2m 3.5mm ステレオミニプラグと2.5mm ステレオ超ミニプラグ φ3.5とφ2.5 /AD-SPS-12

(上記リンクはアフィリエイトです。)

比べてみると、ケーブルを包んでいる材質の質や(こちらは通常のビニールで曲がりが悪い)、設計は(正規品のように3.5mm側がL字になっていないのですぐにぶつけて断線しそう)、やっぱり正規品の方が良いですが、正規品がなくなってしまったんじゃ仕方がありません。ヘッドフォンの差込口に入るかどうか心配だったのですが、無事ヘッドフォンに差し込めて使えるようになりました。

 

・MacBook Proのバッテリ

妻のMacBook Proの調子が悪いというので開けてみてみると、バッテリーがパンパンに膨らんでタッチパッドを裏側から圧迫して、タッチパッドがクリック操作に反応しなくなった模様。バッテリー自体も危険なので、交換が必要です。

製品の保証状況とサービス期間を確認する - Apple サポート

に、底面のシリアル番号を入力すると、MacBook Pro (13-inch, Mid 2010)であることが判明。2010年の機械が2018年まで動いてたのか。。。Windows PCならとっくにお陀仏してる。。。バッテリを見ると、A1322との表示。ドイツのAmazon.deで探しますが、いっぱいあって迷う。。。結局、

https://www.amazon.de/gp/product/B01MEHL3VH/

63.5Wh 10.95V 6-Zellen Notebook Laptop A1322 Akku Batterie für Apple MacBook Pro 13" A1322 A1278 Mid 2009/2010/2012 MacBook Pro 13" A1278 2009 Version, MacBook Pro 13" Precision Aluminum Unibody 2009

と書いてあるものにしてました。63.5Whが大事??6200mAhがいいって下記の日本Amazonには書いてあるけど、これは5800mAhで大丈夫??とかいろいろ不安です。まあ、主に家で使うので、容量より価格かなあ。今はリンク先が中古だけになってますが、注文当時は新品があって36ユーロでした。送料込み、特殊ドライバー付き。日本Amazonだと同等品はこちらでしょうか。こちらの方が容量6200mAhでさらによさげです。

WorldPlus バッテリー Apple MacBook Pro 13インチ 対応 A1322 A1278 ( 2009 2010 2011 2012 ) (アフィリエイトです)

特に会員でもないのですが、注文して翌日に届きました。なんでも、MannheimにドイツAmazonの拠点があるらしく、自前の運送会社でHeidelbergまで配達です。へー。

Amazon stellt neues Verteilzentrum in Mannheim-Friedrichsfeld vor | Rhein Neckar Fernsehen

バッテリーの交換は難しくなく、付属のドライバを使えば簡単にできました。動画もあります。


How to Replace the Battery in a 13-inch MacBook Pro Mid 2010 (Updated)

 2か月ほど経ちましたが、今のところ順調です。純正でないバッテリーは数か月後には充電できなくなる症状があるとあちこちのレビューで報告されていますが、果たしてどうなるやら。。。あと数年持ってくれるとよいですが。しかし、ドイツに来てからアダプターが壊れ、バッテリーが寿命になったこのMacBook Pro。電気系統以外が壊れないのがすごいなあ。

ちなみに、ドイツ語でこうした二次電池はAkkumulator、略してAkkuと言います。いかにも蓄えている感じですね。一般的な電池はBatterieと呼ばれています。交換した後の古い電池は置き場に困っていましたが、Heidelberg旧市街のApple代理店のGRAVISに持っていったら快く受け取っていただきました。

GRAVIS Store Heidelberg | Apple Shop in Heidelberg | Autorisierter Apple Händler

 

・子供のカメラ

親がカメラで写真を撮っているのを見て、子供も真似し始めました。毎回携帯電話を手渡すのもなんだし、一眼レフを渡すのはもっと怖いし、おもちゃでも買ってやろうかとフリーマーケットでフィルム式カメラのMini Cam 35というのを二束三文で買ってあげましたが、カメラ屋でやれバッテリーだのフィルムだので15ユーロ以上取られた挙句に、いろいろ接触が悪くてシャッターが切れないという。。。あぁ。。。まぁ、巻き取る分には巻き取るのでフィルムの構造の勉強にはなりましたが。

mini cam 35 - Google 検索

そこで、気を取り直して、子供用のカメラをいろいろ調べているうちに、たどり着いたのが、Nikon Coolpix W100です。

色は、ピンク、ブルー、マリン(上記写真)の3色。(リンクはアフィリエイトです。)

Amazon.deでも販売されていますが、140ユーロとちょっとお高い。

https://www.amazon.de/Nikon-Coolpix-W100-Kompaktkamera-Mehrfarbig/dp/B01JOLCZUI/ref=sr_1_2?ie=UTF8&qid=1546328945&sr=8-2&keywords=nikon+coolpix+w100

スペックの詳細はニコン本家のページの方がもちろん詳しいです。

COOLPIX W100 - 概要 | コンパクトデジタルカメラ | ニコンイメージング

 重要視したスペックとしては、

防水10m、耐衝撃性能1.8m。で簡単に壊れない。氷点下10度までOKだからドイツでも多分大丈夫。。。

子どもにもわかりやすいメニュー表示「ひらがな表示・アイコン表示」

接写が約5cmから。シャッタースピードは1/2000秒から。

の3つでした。携帯電話渡した時でも、地面とかに思いっきり近づいて撮っていたので、ピント合わないとかわいそうかなと。あとは、早く動くものも撮ることが多そうかなと。

誕生日プレゼントにしては高価でしたが、良いものを長くということで、実家から資金援助が降りて、日本で買ってもらいました。ケースとSDカードも足すと結構な値段です。携帯電話に慣れていたので、慣れるのに少し時間がかかりましたが、今ではあちこちで不思議な写真をいっぱい取ってくるようになりました。知らん間にいろいろな機能使いこなしてる。。。

それにしても、この値段でこの性能のカメラってすごいと思うんですが、、、スマホ時代にカメラはやっぱり売れないんですかね。。。充電器が一応ついてましたが、通常のMicro−BのUSBでした。